そのひまな時間だけであった。
毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入《しゅうにゅう》のある機会《きかい》を見つけしだい、そこで止まって芝居《しばい》をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール氏《し》に役々の復習《ふくしゅう》をもさせなければならなかった。朝飯《あさめし》も昼飯《ひるめし》もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩《きゅうけい》の時間で、木の根かたや、小砂利《こじゃり》の山の上や、または芝生《しばふ》なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる机《つくえ》が代わりになった。
この教育法《きょういくほう》はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも似《に》たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題《しゅくだい》をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念《せんねん》するということであった。授《さず》かった課業《かぎょう》を覚《おぼ》えるのは、覚えるために費《ついや》される時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心《ねっしん》であった。
幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋《へや》の中に閉《と》じこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒《せいと》のようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来《おうらい》に沿《そ》って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほど痛《いた》い足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
だんだんわたしはおかげでいろんなことを覚《おぼ》えた。と同時に親方の授《さず》けてくれた課業《かぎょう》以上《いじょう》に有益《ゆうえき》な長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあ
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