めるとすると、隣より近いところはないわけですからな。」
「その通りだ。それに隣には一人私の眼をつけている娘がある。だが、その子は生徒じゃアないんだ。ちょっと色の黒い孤児《みなしご》で、とても、クルウ大尉の子供とは思われないけれど。」
ちょうどその時、あの魔法が――あの手際のいい魔法が、また働き出したのでしょう。ちょうど印度の紳士がそういった時、ふとラム・ダスが入って来て、主人に額手礼《サラアム》をしました。黒い眼には隠しきれない昂奮の色を湛えていました。
「旦那様、あの子が自分でやってまいりました、あの旦那様が、可哀そうだと仰しゃった娘が。屋根づたいにあの娘の部屋に来たといって、猿を伴れてまいりました。ちょっと待っているように申しておきましたが、会ってお話になったら、少しはおまぎれになりはしませんでしょうか。」
「あの子とは?」と、大屋敷の父が訊ねました。
「それあの子さ、今噂をしていた娘のことさ。学校の小使をしているんだ。」印度の紳士はそういうと、今度はラム・ダスの方に手を振っていいました。「よろしい、その子に会ってみたいから、伴れて来なさい。」そしてまた、カアマイクル氏の方にいいました。「実は君の留守中、寂しくてたまらないところへ、ラム・ダスが来て、不幸なあの子の話をしてくれたのさ。で、ラム・ダスと共力《きょうりょく》して、あの子を助ける工夫をしたのだよ。子供だましのようなことだけれど、そんなことでもないと、私はつまらなかったのだ。だが、ラム・ダスのあの軽い足がなかったら、あんな噺《はなし》のような計画は実現出来なかったろうよ。」
そこへ、セエラが入って来ました。猿は、出来ればいつまでもセエラのそばを離れたくなさそうな顔をしていました。
「また、あなたのお猿が逃げて来ましたのよ。」とセエラは頬を紅らめ、さわやかな声でいいました。「昨晩《ゆうべ》、私の部屋の窓の所に来ましたので、寒いといけないと思って、入れてあげましたの。宵の口だと、すぐお返しに上るのでしたけど、あまり遅いのでやめました。あなたは御病気ですから、せっかくお休みになってるところを、お起しでもすることになると悪いと、思いまして。」
印度紳士のうつろな眼は、セエラの方に惹かれて行きました。
「それはどうも。よく気が付いて下すったねえ。」
セエラは、戸口の近くに立っているラム・ダスの方を向きました。
「お猿は、あのラスカアの方にお渡ししましょうか。」
「あの男がラスカアだということを、どうして御存じかね?」
紳士はほほえみかけました。
セエラは、いやがる猿をラム・ダスに渡しながら、
「そりゃア知っておりますわ。私、印度で生れたのですもの。」
印度紳士は顔色を変えて、立ち上りました。セエラはちょっと吃驚《びっくり》しました。
「あなたは、印度で生れたと? それは、ほんとですか? ちょっとこっちへ来て御覧。」
手をさし出されたので、セエラは紳士の方に行き、紳士の手の上に、自分の手を置きました。彼女はじっと立って、緑鼠色《あおねずみいろ》の眼で不思議そうに紳士の眼を見ました。この人は、どうかしたにちがいない。――
「あなたは、隣に住んでおられるのだね。」
「はい、ミンチン女塾におりますの。」
「でも、生徒ではないのだね?」
セエラは、口許に妙な微笑《ほほえみ》を漂わせました。彼女は、ちょっとためらってからいいました。
「私、自分が何なのだか、よく判りませんの。」
「それは、またどうして?」
「はじめは生徒で、特別の寄宿生でしたけれど、今はもう――」
「生徒だった? そして、今は何なのかね?」
セエラは、また妙に悲しげな微笑を口許に湛《ただよ》わせました。
「今は私、屋根裏部屋で、小使娘の隣に寝ております。そして、料理番の使に出されたり――料理番のいうことは何でも聞かなくちゃアならないのです。それから、小さい人達の勉強も受けもっています。」
カリスフォド氏は、力を失ったように椅子の中に身を落しました。
「カアマイクル君、君この子に訊いてくれたまえ。私は、もう駄目だ。」
大屋敷の父親は、小さな娘と話すのが上手でした。彼は美しい声で、はげますようにセエラに話しかけました。
「ね、嬢や、その『はじめ』っていうのは、いったいどういう意味なの?」
「お父様が、あそこへ私を伴れていらしった時のことですわ。」
「そして、そのお父様はどこにおられるの?」
「亡くなりましたの。」セエラは静かに静かにいいました。「お父様は、何もかも失くしてしまったので、私のいただくものは、もう何にもなかったのです。それに、私の世話をしてくれるものは一人もないし、ミンチン先生にお金を払って下さる方もないので――」
「カアマイクル君!」印度紳士は声高に呼びかけました。「カアマイクル君!」
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