判断ではない。思慮ではない。生れつきの本能――生れる前からの縁……それに依って彼の女はセルロイド職工を選んだ。縁は合っていたのか? 子が神から授けられた。彼の女はあの青年を心の底から愛していた。それにも拘らず彼の女は私の妻であり、姑女の怒りを我慢する嫁であった。子供は育って行った。遠慮なく育って行った。縁、あの青年とあの少女には縁が……深い縁が定められていたようではないか? ああ皆之が死の原因である。いや、むしろ、結果、色々の事の結果、そして死の前提であった。
私は一時に思い出す。そして一度に悲しみがこみ上げる。私の親切の不足――一寸した心の労れ、――実に一夜の間丈に過ぎぬ愛情のゆるみ――その痛い思い出が私を責めさいなんで、夜も私を眠らせて呉れない。そして、ミサ子の幻は何度も現れて、その職工を許してやれ、彼の女が許している如く一緒に許してやって呉れ、彼の女を愛する代りに彼を愛してやって呉れ、と訴えるのである。それはもう本統である。
私の生活が斯んなに破壊されても、それを怨むのは喜ばしい事ではないのであろう。ミサ子の幻は私に正当な処世法を教えているのが確実である。幻の教訓……それは既に紛乱の元である。私の友達は鞭を持って来て、あの職工を打とうとしている。けれど、鞭の音はそもそも何を意味するか?
懲罰?……懲罰ならば痛みを以てしてはいけない。
訓戒?……訓戒ならば痣を造る必要はない。
復讐?……復讐ならば――いや復讐でも、やはりもっと柔しくしてやらねばいけない。復讐を復讐でないものに変化させ、羽化させねばならない。毛虫は美しい蝶とならねばならない。之が昔からの言葉である。
ああ私は之から何うして生きて行く積りであろう。それは分らないが、鞭丈は何処かへ捨てて了う可きである。手ブラで歩いて行け。それ丈が兎に角分って来ている。
それから未だ考える可き重要な点が残っている。何んなにしても、あの職工を、もっと善良な方へ歩かしてやりたい事、その為には何んなに困難な施設をも怠ってはならぬと云う事である。
早く絶望し易い人はもう断言し宣伝している。あんな根からの悪人の改良を無駄に続けるよりも新マルサス主義にでも改宗して了え! と。
それも一理であろう。けれど我々の勇気と知見をためす為めに、もう一つの積極的な道が開けているのを何故見ないか?
我々は立って、そして叫ぶ。
何を絶望するのか。我々の仕事は無駄ではない。唯眼に見えて効果が顕れない丈で、少しずつ潜在的な力が出来て来ているのである。諸君は雨だれを観察した事があるか。私は知っている。あの雨だれを見て貰いたい。それは立派な透明な球の粒である。全くそれに相違ない。そして地へ向って走る前に、生命あるものの如く顫え出す。其れが走る力の養成される有様である。それは走る運動そのものではないが、然もそれに持続した力である。進行の前の足踏みである。顕著な運動ではないが、非常に重要な力の養成である。
諸君は如何に思うか。我々の運動が顕著でない時が、即ち我々の力を養成する好機である。効果が目に見えないでも、之は重要な一つの過程である。当にせねばならぬ行為である。
強盗が六人の人を殺し、悪い親が幼児を鉄槌でなぐり殺しても、悪い女が継子を天井から縛って吊し、その下で、もう一人の貰い子へ焼火箸を当てて、肉の煙りを立たせても、サディズムの男が女の指を切って食べ、学生が親友をバットで打ちころし、兄妹が通じて畸形児を出来したと云うような事件の傍らにあっても、我々は一生懸命に我々の顕著でない仕事に努力しよう。真心と智慧とを一に合せ、何よりも倦む事を恐れつつ進んで行こう。
不正な権威や腐敗せる社会へ反抗するための憎悪心――それは立派な徳の一つであり、現代に於いては極めて重要な感情の一つである。そして涙だらけな萎縮的な所謂「善」がこの種の憎悪心の行使に対して一つの阻害となる事も確かである。
然し、憎悪心の行使がその方向を過《あやま》る時、我れ我れは其処に初めて、恐る可き破綻を見るのである。職工とミサ子との場合は全くその好適例であろう。
それ故、憎悪心を何のように使い分け、何のように按配するかと云う事は、現代人に課せられた最も重要なそして最も困難な問題である。
だが此処には何がある? 今の私は余りに強い紛乱の中に落ちていて何も分らない。唯だ予想する。必ず未来に於いて、再び道は開けるであろう。忍耐せよ。何故にとは問うな。唯真直ぐに信じ、熱心に忍耐を実行して行くのである。そして此の事が私を勇気づける唯一の力となるに相違ない。斯んなに迄忍耐するからには、何か人間の理性の中に、きっと善いものが秘んでいるのだ。それを堅く予期せよ。外部に疑いが起ったら、眼を閉じて内部を見よ。
一通り悲しみが過ぎたら、必ず又直ぐに私自身を創造する、そして善と正義の名誉のために働く力が湧き上るであろう。斯くて今迄よりも一層多く哀れな人を劬《いたわ》り、又出来る丈は慰籍を与えたいと云う嬉しい希望で心が一杯になるであろう。私は私の心を見詰め、そして命ずる――
一般の者を高い程度に導けよ。そして悪者達を除外するな。否一層彼等の為めに力をつくせ。それが私達の肉と霊の課業である。
願わくば此の大きい社会をして、自由な朋友の美しい会館たらしめよ。それ自身に於いて会議場であらしめよ。何の宗旨にも頼らぬ神殿であり、寺院であらしめよ。さらにそれ自身に於いて有益な学校であらしめよ。
之で宜敷い! 凡ては語られたのである。だが其れは無秩序な舌、戸惑うた記憶力、紛乱せる思考力を以てである。ああ何が語られたと云うのか? 私は未だ何も語らない気がするではないか! 唯錯倒と紛乱とが叫ばれたに過ぎない――そして此の錯倒と紛乱の中心をなすものは「私が彼の女を殺した。斯くも陰惨な外囲の中で、殊に美しく愛らしかった私の妻を殺した……」と云う浅間しい観念である。私は何うしよう。之から何うして暮して行こう。凡ての騒がしい事件は過ぎた。時間が私の熱い血を冷しつつある。今にもっと本統の事が分って来る。そして本統に静かな悲しみが目醒めて来るのもその時であろう。
(昭和三年)
底本:「現代文学の発見 第一巻」学芸書林
1968(昭和43)年発行
入力:山根鋭二
校正:野口英司
1999年3月9日公開
2000年12月8日修正
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