世をした。
私の創作が勝れたものか、それとも、極く平凡なものか、を私自身も未だ判定する事が出来なかった。そして勿論多くの一流批評家は私の作に目を通しては呉れなかったのである。彼等は悪いものには注意しなかった。そして恐らく良いものと同じ運命の下にあった。
私は試みに、私の作風の一例を此処に引き出して見よう。
其の人が通過した跡
其の人は自分の母親を連れて歩いていた。彼の足は真直ぐで、母の背は曲りかけていた。彼は少しもクタビレないけれど、然も母親のクタビレたのを察する事が出来た。
「心が行き達《とど》き、他の心を察する事」之がその人の特性だったのである。
「お母さん。私は一度丈貴方を自動車に乗せて上げたいと思います。」と子は云った。
「お前は私がクタビレたと思って、そんな風に云って呉れるが、私は未だ歩けますよ。それにお前の足は大変活撥で、もっと地面を踏みたがっていますよ。本当に若い中は高い山なぞを見ると、直ぐそれへ登った所を想像する程だもの。然し年をとると、そこを越さずに、向うへ行ける道はないかと探すようになるのだね。」と母が微笑んで答えた。
けれども其の人は自動車を呼ん
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