私は悪い友の中でばかり遊んだ。善良なものを見ぬために、不良なものを当り前と思い込んだ。それが今頃になって漸く分って来たのである。
誰か私を縛る繩を解いて呉れ、耳へ詰っている砂を掘り出して呉れ、魚の鱗のような曇りを私の白内障のような眼から取り去って呉れ。
おお、それ丈ではない。早く、早く、今の内、あしたではもう遅い。今直ぐ、何処かに繩でつるされて唸っている継子を下へ下してやって呉れ、焼火箸を継母の手から取り去って呉れ。
きびし過ぎる親と、無関心過ぎる親とを集め、私を実例にして何か恐ろしい事を講話してやって呉れ。虐待される幼児達を悪い親の手から離して、情深い師匠の下に置いて呉れ。
それが済んだら、子供達の偏屈と意地悪とを矯正してやって呉れ、幼芽の中は樫でさえ好くしなう。それが肝心な所である。
柔和な話を聞かせ、さらに、柔和な行為を現実で見せてやり、何を模倣す可きか、よりも、之を模放せよ、之を習慣にせよ、と教えてやって呉れ。此の模倣、この習慣からこそ将来、何をなす可きか、を知る健全な思慮は生れ出ずるのである。車を正しく走らすために、軌道を与える事、之が何よりも初めの仕事である。
いや、然し、再び、私は私の事を考える可きであった。夜中でも構わない。私はあの免職教員へ悉くあった事、之から起りそうな事を話し、愬《うった》え、懺悔しよう。神を知らぬ私は、唯、あの教員に「許して下さい。」と願って伏し倒れよう。そして、一切の始末をつけて貰わねばいけないのだ。私は気の替り易い悪人である。今正直にしていても、あしたは盗みを平気でしているかも知れない様な、そんな頼りにならぬ罪人である。
「善い事をしようとして、悪い事へ導かれる男」それが私と云う人間である。
ことによったら、妹の「復讐」をも、(卑怯からでなく、勇気と親愛とから)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]断念せねばなるまい。ああ、そして、それも善い事なのだと大勢の人が話している。
斯くて私は夜中に雨をついて免職教員を訪ね、謝罪すべき点を謝罪し、頼む可き事をすっかり頼んだ。
翌日の夜になると、教員は私の代理として、あの盗みをした処女の家の近くへ出掛けて行った。処女は約束を守って、八時になると、家から出て来、待っている教員を私と間違えて慄えた。柔和な教員は一切の事情を上手に分り好く話してやり、彼の女の心
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