な男が、如何に彼自身も亦社会を不当に取り扱うか。」と云う事の実例を求めるため、私は又私の流儀で、十三人の人を斬るには何んな決意と勇気とを要するかを知るために、耳を澄ましたのである。
約《つづ》めて云って了えば斯うである。哀れな被告、高と云う名の朝鮮人は、裁判長のやさしい質問に対し、一気に答えるのであった。
「私は馬鹿者です。何故この日本へやって来たのか? それが分らないのです。いや分っている。故郷で義理の兄にえらく侮辱され、蹴飛ばされたんです。その有様を、私の恋している女が見て笑ったのです。それで日本が大変恋しくなって、そこへ行ったら、お金にもなり、やさしい人が待っていて呉れるように思えて、到頭、跣足になる程貧乏しながら、このお国へ渡って来たのです。それから六神丸と云う薬と翡翠とを行商して日を暮し、もっと悪い事もしながら、夜学で法律普通科を半分やりました。電車の車掌になってからは、日本人の女工を妻に貰いましたが、その女は私の子を妊んで呉れないのです。「何うか一人丈でも好いから生んで呉れ。」と願っても、女は唯笑っていて、やはり生んでは呉れないのです。私はそれが不思議で困りました。きっと私を愛していないのだと気づくと淋しくて、又帰郷したくなりました。斯んなつらい思いをしながら、私は妻の兄夫婦と一軒の家を借り、半分ずつ使って、半分ずつ家賃を払っていました。所が義理の兄は子供が二人もあると云う口実で、段々室を大きく使い、台所も自分等丈で使うようにシキリをして了うし、私が寝ていると、態とまたいで便所へ行き来し、その上、私の妻へ一人の男の子を抱いて寝かさせ、私は戸棚を開けてそれへ二本の足を突込んで寝なければならない程、場所をふさげられました。そんな事を忍べば忍ぶ程、兄夫婦やその子は私を馬鹿扱いにし、嘲けり笑い、私が卸した許りの手拭いで泥の手をふいたり、私の茶碗へつぶした南京虫を一杯入れたり、六神丸を無断で売って、その金を使って了ったり、私が買った炭を平気で盗み、その度に私へ悪口をつくのです。兇行の前の日、兄の妻が私の金だらいへ穴を明けて、知らぬふりでいるから我慢出来ないで、二言三言云い争いをしたが、その事を兄へ云いつけたと見えて、兄は醤油の壜で私をなぐったのです。血と醤油とに染って私は眼を開く事も出来ずに、唯暴れていると、兄の妻は口惜しまぎれに私の急所をつかんだので、私は気絶
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