のではない。獄吏のように首斬り台の音丈を音楽だと主張しているのだ。悲しいではないか。バタバタは狂気の一歩前なのだよ。おお、そしてあの火事を見たまえ。病院の方ではないか。」
「そうだ。」私は萎《しお》れて答えた。何がそうだと答えたのか? 勿論両方の話し、即ち私が何うしても苛酷な事と、火事の方角が病院の近くである事の二つに対してである。
罪は常に他の罪から起る
急に新らしい事件である。
火事! そして燃え上っている。病院が焼けて倒れる。それが何よりも明らかな事実であった。
それは未だ良い。悪いのはもう一つの事であった。火事が厳密に検べられた時、私の妹丈が怯えて答えを曇らした。ああ、そして、何たる運命の狂いであるか。妹の行李が荷造り迄されて、病院から遠い物置に隠してあった事実が発見されると、眼の早い警官達は、妹に放火の疑いをかけた。
「妹! お前がやったのか? そして、昼間の中に自分の行李を焼けない所へ持って行って置いたのか? おお、それが低能の証拠なのだ! 何よりの印なのだ。」
私は悲愁と絶望と低能な妹の代りに受けねばならぬ責任感とで、体を折られるようなつらい思いを味わった。
「兄さん。仕事がつらくてね。病院を焼いたら家へ帰れるかと思って……」
「それが低能な女の考えなのだ、世間に好くある例の一つなのだ。」全く読者よ。低能な女は他の低能な女の精神をまるで模倣でもしているようではないか? 一ケ月新聞を読み続けた人は必ず如上の実例を二つ三つは見掛けるに相違ない。然も何うであろう。妹は全く独創的に此の犯罪を犯したのである。之が白痴に取って最大の発明なのか? そして、馬鈴薯からは馬鈴薯が出来ると云う悲しい事実を語っているのであるか?
妹の裁判は大変に厳しかった。そして精神鑑定係りと呼ばるる自痴に近い医師は彼の女が白痴と見なさる可きでない事を主張した。(之は東京から遠い地方の事である。東京の裁判所では多くの医学博士が何かしらをしていて、犯人が白痴であるか何うかを、色々と相談する。そして、彼等は博士なのである。)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]
妹は九年の懲役と極められた。
私は何んなに沈鬱な日を送ったろう。そして何んなに妹のための罪減ぼしとして、善良な仕事と行為とを望んだであろう。此の悲しい動機に依って、私は徐々に正しい道を踏む事が出来
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