て来た。私の周囲にはナポリの暖風が漲って来た。スリッパから飛び出した足の様に、私の気持はスガスガした。だが、それもほんの一時である。
考え度くない幾つかの事を、私は話さねばならない。
彼の女等の顔は何んなであったか? それは美しかった。だが別れて来ると何うも思い出せない様な顔であった。彼の女等は何んの特長も消し去った美しさで輝く。彼の女等は鏡の様に光って然も「無」なるものであった、私が彼の女等に近附いたとせよ。私は唯私自身の姿を見るのに過ぎないのかも知れなかった。然も此処に二つの恋愛が成り立ったのを思えば、鏡は何かしら性を持っていたのである。
ああ彼の女等の顔には変化がない。余り定まっている整いの為めに、忘れられ易いのだ。定住は無に似ている。雪が積もり過ぎたとせよ。もはや写真機を持って出掛ける必要はなくなる。後ろも前も一色の平坦! 何処へでも、坐って居る所から、レンズを勝手に向けるが好い。一と云う字が撮影されよう。それだ! 彼の女等はその一なのである。後ろ姿も横姿も見て廻る必要はない。山や森はポンペイの市街の様に下層に隠されて了ったのである。
だから本統の彼の女等を知ろうと云うには、何でも骨を折って、廻旋階段を降りて行かねばならない。其処に初めて廃墟の様な彼の女等の冷たい心が見出されるのである。彼の女等は精緻の替りに純野を持つ埃及彫刻と丁度反対のものであった。仕掛けの細かい贋造紙幣印刷機と同じで、結果を見ない間は精巧な一つの価値で輝くのが彼の女等であった。
愚昧の過剰から、私は彼の女等の頬へ、非現実的、骨董的な磨きを掛けて、自分丈の置物にしようと試みたが、花瓶には罅が入って了ったのである。もう之等二人は私につまらないものであった。私にはそれが口惜しくてならなかったが、人の力で何うとも治す術は見つからなかったではないか。
「女は矢張り詰らないものだ」
私は段々遠ざかった。それもこれも私が「木偶」だからなのか? 私は振子の響きに合してカタカタと場所を変えて行くパンチと云う人形に過ぎぬのか。
私はぼんやり街を歩いた。そして少しばかり知り合いの人に会った。
「君は未だ健康なの?」と私は不健全な問いを発した。すると私の相手も亦乗り気になって答えた。
「私はある理学者の弟子になったがね。お蔭で随分達者過ぎるよ。ウムそれに、近頃面白い事があったのだ。私の体はその儘で
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