通いつくした頃もそんな考えに苦しめられたものである。私が歩いて行くと、娘の方も表れる。私が近附くと向うが隠れ、私が遠のくと向うがバタバタとついて来たのではないか。
「畜生。」此の頃でも私は自分を木偶以上に進歩させたとは思えない。現にあの婦人病患者がバタバタとやって来る。私はそれが心に響く。ガタガタと動く漁師の喧嘩場が眼の前に浮き上がる。愛するために近づき合い、争うために吸引し合う其れ等の事象は意識もなにも持っては居ない自然現象のようではないか。
若い人達が内省的な心理学をきらって、唯表面の変化丈を観察し、検定する事で、外面的心理学を樹立させようといきまくのはきっと彼等も私と同じような「木偶感」に縛されているからであろう。一切の形容詞を抜き去り、出来る丈動詞を多く使って日記を書き、或いは小説のようなものを書こうとする人があれば、彼も亦「木偶感」に憑かれている事が直ぐ分る筈である。
院長は、バタバタと死んでしまった。この情景は唯スクリーンの上の映画に過ぎない。うしろへ廻っても霊なぞを踏みつぶすような危険もなにもありはしない。之は何だか厭な事実ではないか。ふり返って見ると、彼の残したのは莫大な借財丈であった。鼻柱の折れた子息は寝台の上で落ち着いては居られなかった。彼は振り子のように寝返りを打った。令嬢は兄を気づかったり、私を懐ったりして唯廊下を足音で響かせていた。
「何がバタバタだ。畜生共!」と私は時々独語せねばならなかった。
病院は愈よ維持の困難を感じていた。院長はあんなに大きな借財をして居乍ら、何うしてあんなに呑気にしていたか? 此の点は私の大きな疑問となって残った。ことによったら彼は自殺して了ったのではなかろうか? 此の疑念は死を残忍視する私にとって当然のものであらねばならぬ。
私は病院に飼われていた間中、遊び通していた訳ではなかった。へり下った心で受附け掛りもし、薬局へ入っては坐薬をねったり、消毒ガーゼを造ったりして働いていたのである。けれど院長が死んで、子息が暗い顔をしているのを見ると、もはや私が此処に留まる事はよくないように思われた。気の利いた私は半分無断で病院を去った。そして子息は大変にこの事を喜んでいたと私丈で推察した。
三ケ月後、私は到頭あの婦人病患者――もう治って太り返っているが――と関係して了った。けれど、それと同時に彼の女の妹とも関係する
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