私の興味は俄かに動いた。何故なら私は骨董品が大好きであり、その為めに段々と奥深く入って、斯う云う趣味が矢張り悪と同じであり、又此の趣味が私の悪心から出ていることを悟るようにさえなったのである。(之は一般の骨董品愛好家には当て嵌まらぬ説であるが、私に丈は適切なものであり、又私自身が経験から割り出した思想なのであるから、私丈には間違いでない。モルヒネ中毒者や変態性慾者、精神病者、悪人それらの人は主に小さく部分的な人工美を愛する傾向があり、愛情の広い人、ゆっくりと落ち着いた博識の哲学者、農夫、健康の人等は遠く広く、やや粗雑な広角的な自然美を愛する性情を持つと云う点は私が態々主張する迄もなく一般の事実である。たとえ時々例外はあっても、その為めに如上の通則が全然破れる事は出来ないであろう。もう一度云う。悪人は近視的であるが、その眼球はアナスチグマットレンズのようにシャープである。善人は遠視眼である。それで、遠くの地平とか天空とか云う大まかなものをデテール抜きにしてぼんやりと鈍感に眺めやるのである。そして之等の規則は半分許り真実である。)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]
「此の壺を何う思う……」と老人は首を下へ向け、胃を縮めて貧相に尋ねた。
「奇態な壺ですな。」と私は改めて検べた。高さ二尺程の素焼である。其の他の何者でもない。
「此の唐草文をお前は何う思う。」
「それは飛鳥朝の時代のものですか?」私は此の方面に少し暗かった。
「之はアラビヤ文様だ……」
「先生はそんな事迄知って居るのですか。」
「検べれば分る。分らないものだって、分って来るさ。覚えて置きなさい。今に色々の事が分って来るから。」
「ですが、之には支那文様の趣きがないとは云えませんね。」
「それは寧ろ支那がアラビヤの感化を受けたのだろう。」
 院長は壺に就いての説教でもう夢中になって来た。私は此の老人の心持が殆ど解せなくなった。何うして彼はそんなに夢中にならねばいけないのであろうか。彼は何でも、自分の家の庭で之を掘り出したと云っている。そして、彼が之を黙って自分の手に入れて了った事を誰一人知っていないと云っている。然も此の二尺程の器の中には人骨が入っている。彼は臆病な手つきで、それを拾い出して私に見せたのである。
 最後に彼は思い出して云った。
「もう時間が過ぎた。」そうして壺を抱えると、悲痛な
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