そんな風にして卵を売り歩いて了った。あんな卵を二度繰返して買って呉れる主婦は決してないであろう。
 私は考え労れてはあの娘を見に行った。私はその時出来る丈上品な身なりをして、汚い卵屋とは似ても似つかぬしとやかな大学生風な青年になりすました。そんな事は私の得手なのである。
 娘は私が毎日彼の女の家の廻りをまわるので、もう好く私を記憶し、注意していた。彼の女は私を悪い人間だとは疑っていないらしかった。何故ならば、彼の女は私の事を母親へ告げないでいるのが明らかだった。(娘と云うものは自分の好かない気味悪い男の事は直ぐ母親に告げて助けを乞うのが常である。)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]娘は段々と私がしたい寄って行くのを待っているようになった。私が出掛けて行く時間を遅らすと、彼の女は心配して外の生け垣へもたれて立っていたりした。けれど私が近づくと彼の女は未だ恐れているように庭の中へ逃げ込んで、樹の葉の間から私を窺った。娘の息がはずんでいる事は、彼の女の眼が落ち着いていない事で直ぐ推察されるのであった。
「おおあの娘は私を思っていて呉れるのだ。何て世間は上手に出来ているのだろう。私達はもう思い合っているのだ。眼丈が体の他の部分より一足先に交際を初めたのだ。」
 斯う云う野合の楽しみときては人生の中で最も大きいものに相違ない。自分の友人の妹とか、主人の娘とか、召使いとか云ったふうな女たちとの恋は未だ中々本統の恋と名附ける事は出来ない。そんなのはむしろいたずらな機会が生んだ無意識的な退屈しのぎに過ぎまい。
 娘の方でも私に焦れている。二人が我慢して、眼を見交している。之は実に胸がつまる程嬉しい事件ではないか。何うしたらあの娘と関係出来るか? その謀みで私は夢中になり初めていた。大胆にやり過ぎれば娘を脅やかして了う。小胆にしていれば、何時迄もあの娘を手に入れる道がない。だのに娘はもう待ちぬいている。手に入れて呉れと嘆願している。そして運命もそれを要求している。神も微笑み乍ら見て見ぬふりをしている。私は何うしても思い切ってやり遂げねばならないのだ。そう思うのは何と嬉しい事ではないか。やり遂げれば成功するにきまっているのだ。
「畜生め!」と私はこみ上げるむず痒さを押しこらえた。もう嬉しくってたまらなかった。それが悪いと誰が云おう。
「よし今日こそは思い切ってやり遂げ
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