? 執拗い男だな。」話し手は無気味に云い放って、うしろから歩みよる私を忌み嫌った。
「話して呉れ! 何う云う訳なんだか。」と私は急に弱り切って、萎れながら口を開いた。
「何を?」
「何うして老人の身代りに幼児がなったのか。又何故その方が好いのか、と云う事だ。」
「もう好い加減に許して呉れよ。お前。その代り、此の本をやるから……」彼はデクインシーの本と云うものを私の手の上へ乗せた。
 話し手と別れて帰って来た時、私はその本を読む勇気も出ない程労れ果てて居た。(次手に云うが、私は珍しく病的に利巧で、英語は、シェークスピアを巫術的に翻訳出来る程、直覚を以て会得していたのである。それから私は父の住む土地では犬殺しを働く事が出来ぬ程、教養のある友を持っていたのである。)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]
 私はどうしてもデクインシーの著書を読む事が出来なかった。そして何故だか判らないが、本の表紙にあの話し手の体臭がこびりついているように思えて、態々近くの河へ、橋の上から本を投げ捨てて了ったのである。
 私は時々発作的に悶えた。妹は足を投げ出して上眼でそれを見ていた。
「兄さん。私がいていけないなら、奉公に出るよ。奉公によ。」妹は眼に涙をためて足をいじっていた。
 ああ闘牛士の様に道楽の混った犬殺し、不当な社会へ対する「復讐の代償」として、あの可愛らしいテリヤとセッターの混血児を殺す青年、之は確かに悪い、そして非常に悪いものに相違なかった。

   手妻の卵

 犬殺しを廃してから、私の収入は全く絶えて了った。私は時とすると、もう一度帽子を目深く冠るあの商売に入ろうかと思った。けれど結局他の考えが優越した。私は妹を奉公に出した。彼の女の行った先は郊外にあるやれ果てた病院であった。恐らく彼の女は、その病院の洗濯婦と、院長の宅の飯炊とを兼ねねばならなかったのである。此の激務に堪える事の出来る女は白痴か、さもなくば異常に体力の大きいものでなくてはならなかったので、院長は妹の白痴であることを少しも気に掛けぬ所か、むしろ其れを幸いにしているらしかった。私は妹の給料に就いて、何の要求もしなかったが、それにも拘らず、院長は六ケ月分の給料を前払いにしてやっても好いと申し出して呉れた。私は七円の六倍即ち四十二円を痩せこけた院長の手から受け取ると、妹の為めに幾枚かの着替を買いとと
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