るようになったのも生来の本能からではないのです。何か無形な怨恨が形の上に表れて来たのに過ぎないと私は解釈しています。さあ! 未来を余り心配しないでね。臆病にならずに、正しい方へと歩き返してください。
 自分の罪や過失を思い出す程つらい事はないけれど、又、之から正しくなろうとする勇気を見出す程晴々したものはありません。
 貴方は悪いお父さんに対抗し、悪くなって行く所を見せつけて、競争し、復讐しようと云うような心持を抱いたんでしょう。いえ、そうハッキリと意識せぬ迄も、矢張り、そんな傾向を取っていたらしいではありませんか。
 卑怯と戦うに卑怯を以ってするならば、善良なものの方が敗北するのは当然です。貴方は敗けました。そしてそれこそ貴方の心の奥にある善良を證して余りあるものと云えましょう」
「何んなに仰言って下さっても、私は盗人より以上のものでも、以下のものでもありません。もう普通の、何の理窟も弁解も入用でない盗人です。私はあの櫛が唯欲しゅう御座いました。そして取って了ったのですもの。ああ、けれど……」
 女性は此処迄語ると、急に驚いたように調子を変え、そして口早に叫んだ。
「ああ、あの子が悪いんです。あの子が私に取りついているんです」
「誰、誰の事を云ってるのですか?」
「隣りの子! あの可哀想な子は走る事の出来ないナマコのような畸形児で、両手の指が三本丈しきゃないんですもの。涎や目脂をたらし、アア、アアと丈は云えますけれど、その他の事は何も分らないんです。何時も臥るか柱によりかかるかしていて、私を見ると息を切らせ乍ら這い寄って来るんです。そして、三本丈の指で私をツメるんですわ。」
「其れは夢で見た事のようですね。」
「いいえ、本統なのです。あの骨なしみたいな、癩病みたいな顔の子が、私は初め恐くていやでね、それから、今度は好く見るともう可哀そうに思えましてね。夜いつ迄も眠れないと、その子の事が幻にうかんで、私好くは分らないけれど、その為めに、初めての盗みを思い立ちましたようですわ。小さい泥の人形を私は夜店から取って来て、そして恐ろしいものを捨てるように、隣りの子へ投げつけたんです。けれど、今の私は自分の為めに櫛を盗まねばならぬような心掛けになって了っているのでした。いえあの三本指の子に罪を押しつけようとするのではありませんけれどね、ああ私は自分で自分の考えが分らないのです
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