察してやり、それぞれ適当な取り扱いをしてやるには本統に熟練と愛情とが必要なのでした。
或る鳥は羽が絹のように美しいのに、唯もう粟と水と丈で満足して居りました。『まあ何うして、味のない水と穀物と丈が、あんなに美しい生命に変るのだろう。』と私は好く思い、嘆息しました。又或る鳥は意地の悪い顔をしているのに、牛乳をかけた御飯でないと食べず、他のは棒の形に固めたスリ餌でないと不満な様子を致しました。『何て贅沢な鳥達だろう。山に居た頃は何うして暮していたの。』と私はフザけて笑った事も御座います。
斯んなにして十八になる迄、淋しく暮して来た私は、偶然な機会から、本統の父親に見出され、その方へ引き取られる手筈になりました。私は何んなに喜んだでしょう。之から今迄知らなかった愛情の国に住めるのだと思うと心も落ち着きませんでした。移って行った父の家には、もう一羽の紅雀も居ては呉れませんでしたが、その代りに私の実母ではない若い母親が待って居りました。そして小鳥たちを見失って、唯の雀をでも見るのをせめてもの楽しみにして、夫を見送っている私へ向っては、『お前のように小さい生きものを可愛がったり、恋しがったりする娘はないよ。きっとお前は石女だろう。』と申しました。それはもう詰らない云い伝えに過ぎませんね。いいえ、お話はもっと別の事で御座いましたっけ。(けれども私は石女かも知れませんわ)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]
一緒に住んで見ると、私の父と申すのは、本統に悪い人でした。ああ、もし、父さえ善良な気質を見せて呉れたなら。私は何もあの復讐の心を抱くようにはならなかった筈ですのに……。いえ、復讐と申すのは、あの事なのです。妊娠中の母を捨てて、音信もしなかった不親切、私はその事から、父を怨み初めるようになったのでした。父さえ母を捨てなかったら、母だって、私を妊婦預り所へ置き去りにして、行衛不明にはならなかったで御座いましょう。母は唯、父の真似をしたのだ。それで私は孤児になったのだ、と斯んな風に感じたのでした。考えれば、私が小鳥屋へ貰われて行ったのは、斯んな父の手で育てられるより、幸福でした。一羽の無心な小鳥が悪いそして凡庸な教育者よりも善い事を教えて呉れると云うのは、もう本統のお話しですもの。だのに、私は矢張り、変化を望み、新らしい世界にあくがれました。孤児である身を悲しむ
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