、甚だ遠からぬやうにも思はれるけれど、計算すると前九年役の終りから文治年間の泰衡征伐までには、其間約百廿年の[#「約百廿年の」は底本では「約廿年の」]歳月を經て居るからには、進歩の遲い奧州とても、可なりの進境なかるべからざる譯である。然らば此進歩を促がしたことに與りて力のありしものは何々かといふに、奧州から上方に、觀光に出かけて歸つた人々と、上方の人士で遙々奧州に下り、優等なる文化の種を邊陬に撒いた人々と此二樣にある。上國から下向した者の例に就いては、花かつみの歌に風流をとゞめた流人實方卿の[#「實方卿の」は底本では「實力卿の」]如き縉紳は云はずもがな、前九後三の役に從軍して、家族移民をなした下級の者も等閑に附し難い。其外にも平泉藤原氏以前に於ては、若し奧州後三年記の記事を信じ得るとすれば、清原眞衡が其「護持僧にて五所うのきみといひける奈良法師」と碁を圍んだといふ話がある。平泉藤原氏時代の始めには、散位道俊といふ者が、清衡の許に赴き、弓箭の任に堪へざるを以て、筆墨を以て之に事へたと、三外往生傳に見えるもある。また良俊といふ公卿の清衡をたよつて陸奧に下向したのは、これ五位以上の者猥りに京
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