にはしばしば実隆の意見を徴せられた。かくして御手許に召置かれることになったものの中には、成化|戊戌《つちのえいぬ》の年の述作にかかる『和唐詩』四冊、功徳院所蔵の『日本紀』の珍本および『園太暦』等がある。中にも『園太暦』のごときは、中院入道内府がかつて百二十三巻十四帙を千疋で買得して所持し来ったところ、同入道の歿後中院窮困したので、やむを得ず内幾冊かを沽却《こきゃく》しようとした。それを実隆が聞き込んで散佚《さんいつ》を惜しみ、禁裏に奏上して、八百疋で全部御買上げを願うことにした。史料の散佚を拒ぐことに尽力した実隆の功績は、後世史家の永く感謝すべきところであろう。
実隆はかくして朝廷で調法がられたのみならず、武家からも重ぜられ、風流の嗜み深かった義尚将軍のごときは、文明十五年七月からして、隔日に室町殿へ出頭してくれるようにと頼んだ。禁裏の御用もたくさんあるので、実隆にとってはすこぶる難有《ありがた》迷惑に感じたのであるけれど、何にせよ武命で違背し難く、これを承諾した。その用向というのはほかでもない。源氏の打聞きであった。されば義尚の方でも実隆をば等閑《なおざり》ならずもてなし、禁裏当番
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