には変革を来たし得なかった、しかしながらまったく何らの影響をも及ぼし得なかったというのではない。予は元来足利時代をもって大体において藤原時代の復旧と見なさんと欲する者であって、もし藤原時代を日本の古典的時代と考え得るならば、足利時代はルネッサンスに擬せらるべきものであると思う。ただそれと同時に忘るべからざることは、彼のルネッサンスが決して古典時代そのままの再現ではないごとくに、足利時代もまた決して藤原時代そのままの復旧ではないということである。鎌倉時代はおおよそ一百五十年の久しきにわたりており藤原時代と足利時代とは時間においてそれだけの隔《へだた》りがある以上、仮りに武家政治というものが開設せられなかったにもせよ、その他何らレジームを攪乱するごとき事件がその間に出来《しゅったい》[#「出来《しゅったい》」は底本では「出来《ゅしったい》」]しなかったにせよ、藤原時代の有様が、そのままに引いて足利時代まで伝わるべきものではなく、外部からの影響がなくても、内面的変化を免るることのできるはずはない。しかしてあくまでも従来の傾向を続け、爛熟の上にも爛熟することがとうていできぬことであるとすれば、
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