みならず龍翔院右府公敦のごときを始めとして公家等のたよって行ったのもある。『平家』を語る琵琶法師等もはるばる中国下りしてその眷顧を受けた。実隆が大内政弘のために、いろいろ書写してやり、あるいは銘を書き、周防浄光寺のために朝廷に取り持ちて、灌頂《かんじょう》開壇の特許を与え、宗祇の勧めによって長門住吉法楽万首の奥書を書し、殊に用脚に関する場合に、宗祇と相談のうえ書状を発している。されば実隆と大内家との間を親密ならしめたのは、宗祇の居中周旋によるものだとも考え得られるのである。実隆のために金策の秘計をめぐらした者は宗祇のみではないけれど、その方面においての宗祇の尽力は、決して少小でなかった。実隆に書いてもらった扇子をば、宗祇はあるいは実隆のための金策の便宜上、これを他に贈遺したかも知れぬ。少なくも実隆が宗祇に書いてやった扇子は、間接に自分の家計を補う因となったのだ。大晦日に扇子を書かされたとて、あまり苦情をいうべき筋でもない。これを日記に書したのは、一時むっとしたからで、実隆もまたこれらのために宗祇に対し永く不快の念を懐いたのではないようである。
宗祇はもと身体壮健であったけれど、寄る年
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