とである。而して此等諸市中最も繁榮で、且つ其歴史もいくらか精確に辿ることの出來るのは、唯堺港のみであつて、山口及び其他に至りては、茫として之を明にし難いが、しかし其堺港の歴史だけでも頗る興味あるもので、若し王侯の武力も容易に屈することが出來ず、隱然獨立の勢をなした彼のハンザや以太利の諸市の如きものを我國に強て求めたならば、それは足利時代に於ける堺港のみであらう。予曾て黎明リヰエラ・ヂ・レ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンテを過ぎて、檸檬、橄欖の木の間から、風に飽いた數隻の帆船が、將に白まむとする東天に向へるのを望みて、十字軍時代に於けるジェノア市民の傲然たる意氣を想ひ起こした。昔堺港の納屋衆が、淡路島かくれに西せる渡唐船を見送つた意氣は、正に此のジェノア市民の壯心と相伯仲するものであると思ふ。
 尚ほ一歩を進めて、本邦史上に於ける足利時代の出色なる所以を擧ぐれば、それは下層人民の發達である。抑も武家政治が始まつてから、社會の中心も亦下に移つたことは、これ吾人の屡々論ずる所であるが、しかし鎌倉時代の間は、武士といふものが社會の表面に浮き出しただけで、平民といふものは、まだ物の數に算
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