かにし得べし。若し其科目中に輓近西洋に行はるゝ政治法律に關する諸學科を含まざるのを以て、科擧を無用なりとするあらば、これ大に愆れるものなり。裁判官、技術官、通譯官等の如き特殊の技能知識に重きを置かざるべからざる職務は之を例外とし、其他一般の文官なるものに在りては、其の候補者にとりて第一の必須條件は、高等なる常識と、明晰なる理解力と紳士たるに必須の修養とを具備するに在りて、法律規定等の記誦之に次ぐ。一八七六年に制定せられたる英國の高等文官試驗科目中に、羅馬法、英吉利法、政治學、經濟學、經濟史の外に近世語として、獨逸佛蘭西等の外國語及び文學、古典として希臘語、羅甸語、梵語、亞剌比亞[#「亞剌比亞」は底本では「亞刺比亞」]語并に理論數學、應用數學、博物學、英國史、希臘史、羅馬史、近世史、哲學及び倫理學等の掲げられあるは、頗る吾人の意を得たるものにして、理解力は暫く措き、常識と修養と共に一場の試驗を以て其優劣を判ずること難きに拘はらず、而かも之を試んとする企ては、全く之を試みざるに比すれば優ること萬々にして、此點よりして考察する時は、支那の科擧に於て經學と詩文とを以て試驗科目とせしこと却りて其當を得たりと云はざるべからず。蓋し支那に於て試驗によりて常識と修養とを判ぜむとせば、之を除きて査覈の良法あらざるべければなり。特に歴史の科目設けられざりしと雖、策問によりて時務を論ぜしむること、以て其缺點を補ふものなり。之を高等文官試驗を以て法律學校の卒業試驗と殆ど同一視し、只管に膠柱の知識を驗するを主として常識と修養との判定に重きを置かず、從ひて登第の官吏事を處理するに當りても、必ず先づ法律の規定によらむとし、自ら責任を負ふことを回避し、法律を以て毎に最後の責任者たらしめむとし、輙もすれば無用の規定を設け、以て好んで獨斷專行の餘地を減ぜむとするに比すれば、其優劣遽かに判じ易からざるものあり。
論じ來れば科擧の必しも一概に排斥すべき惡制にあらずして、却りて大に稱揚するに足るべきものあるを知るべし。凡民族に盛衰汚隆あると同じく、其民族の作り成せる文明にも自ら命數あり。數十年にして其極盛の域に達し、それよりして萎靡の境に入り去るものあり、數世紀にして尚未だ[#「未だ」は底本では「末だ」]發達向上の初程に在るものあり、其命數の長短は各同じからずと雖、要するに如何なる種類の文明に於ても、其發達の常に求心的傾向を有し、次第に其完成の中心に近からむとするものなることは爭ふべからずして、而して其完成は即發達の停止を意味す。斯くして成れる文明の價値に差等あるは、猶ほ圓の半徑に千差萬別あるが如くにして、而かも其半徑の長短に拘はらず何れの圓も夫れ自らに完きものなると同じく、個々の文明の發達には自ら其限りあり。支那民族の文明は數世紀以前に於て既に其完成の域に入りたるもの、換言すれば發達の終りたるものにして、其停滯は科擧の爲めの故にあらず、其命數の既に窮まれるなり。而して南京の貢院の如きは、即舊文明が殘こせる形體なり。羅馬のコロッセウムにも比すべき絶好の一大記念物なり。予は偏に支那政府の其意を貢院の保存に致し、命數の免れ難きを忘れて猥りに罪を科擧に歸するなからむことを希はざるを得ず。
底本:「日本中世史の研究」同文館
1929(昭和4)年11月20日初版発行
初出:「藝文」第六年第五號
1915(大正4)年5月発行
※「逢[#「逢」は底本では「蓬」][#二]秋風桂子之年[#一]、」の修正は、初出に拠りました。
※その他の修正は、文意から判断しました。
※「屡櫪間[#「櫪間」は底本では「※[#「てへん+歴」、749−8]間」]に老いしむる恐れあり」に関連して、曹操「歩出夏門行」には、「老驥伏櫪、志在千里」とあります。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:はまなかひとし
校正:湯地光弘
2004年5月17日作成
2004年10月28日修正
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