、春尚ほうら寒き頃なりき。されば予の見たる所を以て花の盛りのスプレーを推すこと難けれど、要するに彼は自然の閑寂を示すものにして、これは其豐富なる表現なり、蓋し地味肥瘠の差の致す所、若しそれ花下舟に棹す[#「棹す」は底本では「掉す」]の雅興に至りては、兩者殆ど相同じ。上に天堂あり下に蘇杭ありとの言必しも欺かず。予今に至りて其舟遊を試みざりしを悔ゆ。
忘れ難き第二は南京の貢院なり。抑も金陵には名蹟勝景甚多く、霞に包まれたる紫金山、莫愁湖の雨景、明の故宮は愚か滿人の屋敷跡にすら漸々と秀づる麥隴、いづれもとり/″\に面白かりしかど、深く感興を催せしこと貢院に如くものあらざりき。明代の貢院は太平賊の兵燹に滅びて、今存するは同治三年の修築に係かるものと云ふ。爾來半世紀にして科擧廢せられ、さしも大規模の房舍も無用の長物と化し了し、殊に革命亂以來は風雨に任かせて暴露せられたれば、彼の北京の貢院と同じく、全く其跡を留めざるに至るべきこと、恐くは十年を出でざるべしと思はれたり。五百の房屋、二百九十五號筒※[#「門<貝」、第4水準2−91−57]然として跫音を聞かず。大門は久しく鎖されたるまゝなれば、側なる築土の壞れより入りて見るに、折から浚渫中の秦淮の泥土は、院内に運び棄てられて堆高く、道路のみにて積み足らずして、千字文の字號を附して標識とせる號筒の小門を破壞し、號舍内に投げ入れられたるもあり。更に跼蹐して二三の號舍を仔細に窺へば、年々の受驗者等が嘗て燈もせる油煙の痕、尚ほ歴然として壁間の凹處に認められ、幾多受驗の士子等の心血を濺ぎし跡忍ばれて哀れなり。當年號軍等の叱咤叫喚の聲亦尚ほ耳に在る心地す。されば若し此荒廢のみならましかば、鬼氣人を襲ひて、長く遊子の低徊をゆるすべきにあらざれど、滿地に舗ける菜の花の我が國にて見馴れたる黄色のもののみならで、紫の色さえたるが多くさき雜じり、幾千萬の青年が畢生の榮として通過を希ひし其龍門の邊り、砌間となく階前となく、皆此黄紫の花もて被はれたれば、此處にも春は忘れで訪づれにけると覺えて、懷古の念は爲めに一しほの深さを加へながら、而かも人をして徒らに惆悵自失に終らしむることなく、虚心考察の餘裕を得せしめたりき。歴階して明遠樓上に登臨すれば、二萬六百四十四の號舍鱗の如く眼下に列なる。屹然として相對し東西に聳立するは、所謂瞭樓なるものにして、これよりして
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