の輩に與ふることあるべからざるなり、義時も又爰にいたりて一言の云々もなし、義時政子の二人何ぞ始めて孝且義にして後に漠然たるの甚しきや、或は當時二人の擧動を以て父時政に對して忍びざるの情より來りたりとするも、若同年閏七月の事變に際する二人の態度を考へば、始めに處女にして終りに脱兎たる者か、怪むべきの至なり。換言すればかゝる矛盾を來す所以は吾妻鏡の編者が強て義時を回護せんと欲するの念よりしてかゝる曲筆を弄するに至りしに外ならざるべし。
其他吾妻鏡に謀叛と記せる者の中には北條氏に對して何等の反抗の準備もなかりしもの少からざるは、また怪むべきの一なり、今其例を擧ぐれば、元久二年八月の宇都宮彌三郎頼綱の謀叛の如きこれなり、然るに頼綱の降ること速なりしよりして考ふるも頼綱は決して當時の幕府に對して謀反を準備したる者とは見えざるなり、自餘の所謂謀叛の徒の中にも、單に攻撃的動作を爲さざりしのみならずして、甚しきは應戰防守の準備さへもなく一たび討平を向けらるれば或は直に遁逃し或は謝罪し或は自殺せる者多し。知るべし、是等は多くは眞の謀叛者にあらず些少の事項は北條氏の口實とする所となりて顛滅の難に遭ひし者
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