」の文體となり漢字假名交りのものを増加した、但し藝術も文學も文明の要素としてはいづれも贅澤な要素であつて、生計に多少の餘裕あるものでなければ、之を味ひ娯むことが出來ぬ、であるから予と雖、鎌倉時代の水呑百姓が今日の農民の如く文學の教育もあり美術の嗜みもあつたとは思はぬ、然るに宗教は之に反し、當時の樣な人智發達の程度に於ては、殊に一日も缺くべからざる精神上の食物であるから、此の點に於ては如何にしても下層人民を度外に置くことは出來なかつた、要するに極めて玄妙にして而かも難解で、見世物としてはあまりに上品で、而かも高價に過ぐる從來の聖道門の佛教では、到底新時代の一般社會の渇仰を滿足せしむることが出來ず、必や下級人民をも濟度することの出來るやうな宗教が起こらなければならぬ、爰に於て此必要を充足する爲めにあらはれたのは、前に述べた易行門の諸新宗である、尤も易行門と普通に云へば多くは淨土門の諸宗派を斥すので、日蓮宗は天台の復興とこそ云へ、簡易佛教とは自稱して居らぬ、けれども日蓮宗の大體の性質から云へば、やはり鎌倉式の易行宗に似た所がある、また禪宗の如きも教外別傳と云ふからには、爾餘の鎌倉佛教と同日に
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