かく政治が文明史に多大の貢献をなすは、單に鎌倉に限つた事ではない、古今東西例證に乏しからぬことである。
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 扨以上論じ來つた所によりて推すときは、文明を構成する諸の要素の中で、鎌倉時代を最もよく代表し得るものは、此時代に興隆した新宗教であつて、文學美術等は之に亞ぐものであることは明である、であるから今「鎌倉時代の布教と當時の交通」と題して一場の講演を試みるのは、實は宗教の流布を説くのみならずして、旁ら之によつて當時の文明一般の傳播せる徑路を辿らむと欲するのである、但し未研究の足らぬ所からして、今は文學や美術に説き及ぼすことの出來ぬのは、予の甚遺憾とする所である。
 尚本論に入るに先ちて、いま一つ斷はつて置かなければならぬのは、此講演の論證の基礎とした根本材料の甚脆弱なものであることである、といふのは、予をして此講演をなすに至らしむるについて、最多く暗示を與へたのは、各寺院に存する縁起であるが、凡そ史料中で何が怪しいと云つても恐らくは此諸寺の縁起ほど信用し難いものはあるまい、いづれの寺院も皆我寺貴しの主義に基きて、盛に縁起を飾り立てるのが普通で、中には飾り損ひて、有り得べからざる事實を捏造する向きもないではない、例へば日蓮や法然の生れぬ以前に出來た法華寺や淨土寺もある、中に無學の甚しい僧侶は禪僧を以て門徒寺の開基としてすまし込んだ縁起を作つて居るのもある、よし假りに一歩を讓つて縁起に誤りが無いとしても、生憎僧侶には同じ樣な名稱が多い、即淨土宗や淨土眞宗に屬する僧侶の名は、多くは三部經中の字を繋ぎ合せたものであるから同じ名が屡※[#二の字点、1−2−22]出來する、例へば芝居などによく出て來る西念などいふ僧は、實際幾たりもあり得るもので、甲の寺の縁起に見える西念と、同時代に乙の寺の縁起に載て居る西念と、一々異同を甄別することは容易のことではない、また同一の名稱が數多の僧侶に適用することが出來て、甚曖昧なることもある、例へば淨土眞宗に屬するもので常陸の國に居つた順信といふ僧がある此順信の二字の下に房の一字を加ふれば同じく常陸の僧證信の名となる、然るに證信の名ある僧は必しも順信房と號したもののみではない、外に明法といふ僧侶があつて、これも證信といふ號を持て居る、そして尚此外に單に順信とのみ稱する僧侶も別にある、コンナに混雜して居つては到底安心して考證
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