は不幸であり、損害であり、若《も》し又|之《これ》を守れば、彼に訪るるものは進歩であり、満足である。
 爰《ここ》でくれぐれも銘記せねばならぬは、地上の人間が、曾《かつ》て彼と同じ道を歩める、他界の居住者達の指導下にあることである。それ等の指導者達は、神命によりて、彼を守護すべく特派されているのであるが、その指導に服すると否とは、人間の自由である。人間の内には、常に真理の指示を誤らざる一つの規準が、天賦的に備って居るのであるが、これを無視した時に、いかなる指導者も施すに術はない。脱線と堕落とが伴って来る。すべて罪は、それ自身に懲罰を齎《もた》らすのであって、外部的の懲罰を必要としない。
 兎に角地上の生命は、大なる生命の一断片である。生前の行為と、その行為に伴う結果とは、肉体の死後に於《おい》ても依然として残存する。故意に犯せる罪悪の流れは、どこまで行っても、因果の筋道を辿りて消ゆることがない。これは悲哀と恥辱とを以《もっ》て償わねばならない。
 これと同様に、善行の結果も永遠不滅である。清き魂の赴く所には、常に良き環境が待ち構えて居《お》り、十重二十重にその一挙一動を助けてくれる。

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