で見棄てて了《しま》わねばならぬ人物は沢山ある。世にも度し難きは、人間界にこびりついている古い古い僻見《へきけん》であり、又ドウにも始末に行かぬのは、宗教宗派の墨守《ぼくしゅ》する数々のドグマである。これは『時』の流れに任せる外に途がない。われわれの力にも到底及ばない。
 尚お爰《ここ》で一言附け加えて置きたいのは、われ等の教が、徹底的に一切の恐怖を、人の心から剪除《せんじょ》せんことである。要するにわれ等の使命は、神と神の使徒に対して、全幅の信頼を置くべく、魂達を指導することである。
 旧神学に従えば、そこに一人の神があって、絶えず人間の堕落を監視し、又そこに一人の悪魔があって、間断なく人間誘惑の罠《わな》を張って居るというのである。この考が頭脳にしみ込んでいる人達は、ややもすればわれ等の教訓を不思議がり、容易にこれに従おうとしないが、これはまことに困ったものである。宗教から一切の恐怖、一切の不安が引き離された時にこそ、地上の人類は、初めて安心立命の境地に立ち得るものといえる。
 尚お爰《ここ》にモウ一つ断って置きたいことは、われ等の使命が、ありとあらゆる形式の利己主義を剿滅《そうめ
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