せねばならぬ。霊界には、無邪気な子女を教育すべき専門の霊達が控えて居て、彼等の求むる所を遺憾《いかん》なく充たすのである。地上生活を短かく切り上ぐる事は、決して本人の利益ではない。強いていえば、ただ与えられたる地上生活の悪用をせずに済むという、消極的の利益位のものである。魂にとりて最も理想的な生活は、四六時中《しろくじちゅう》些《いささか》の油断なく、自己に与えられたる天職を睨みつめ、一心不乱に自己の向上と同時に、同胞の幸福を図り、神を愛し敬い、そして忠実に自己の守護霊達の指示を儼守《げんしゅ》することである。そうした魂には、汚染の分子が少いから、従って進歩が迅《はや》い。ありとあらゆる形式の虚栄と利己主義、すべての種類の怠慢と懶惰《らんだ》、又《また》何等《なんら》かの形で行わるる放縦《ほうじゅう》と我儘《わがまま》――これ等《ら》は皆《みな》向上前進の大敵である。魂にとりて最大の味方は、愛[#「愛」に丸傍点]と知識[#「知識」に丸傍点]の二つである。帰幽せる小児は、天賦的に前者を具えていることもある。が、後者は是非とも之《これ》を教育の力に待たねばならぬ。夭折《ようせつ》せる小児の
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