るほど慨歎《がいたん》すべきものはない。汝《なんじ》は優勢なる魔群の存在を不思議に思うらしいが、事実はその通りであり、而《し》かもそは毫《ごう》も怪むに足らぬ。魂は地上生活そのままの姿で、彼岸に歩み入るのである。その趣味、好尚《こうしょう》、習慣、反感等、生前死後を通じて、毫《ごう》も変るところがない。変る所はただ肉体の有無のみである。地上にあって趣味低く、素行修まらざるものは、地の世界を脱《のが》れたとて、依然として旧態を守り、これと同様に、地上にありて品性の高潔なるもの、志操《しそう》の確実なるもの、向上心の強きものは、死後に於《おい》て、決して悪魔の徒弟とはならない。汝《なんじ》がこれしきの真理を会得せぬこそ、寧《むし》ろ意外である。すべては儼然《げんぜん》たる因果の理法の現れで、金は飽《あく》まで金、鉛は最後まで鉛である。魂の品質は、決して一朝一夕の所産でない。そは霊性の中に織り込まれたる綾であり、模様であり、両者を切り離すことは、到底不可能である。就中《なかんずく》畏《おそ》るべきは習癖《しゅうへき》の惰力である。習癖《しゅうへき》は深く魂の中に喰い入りて、しばしば個性の主要
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