、全然痕跡もなく、何れも皆真面目な教訓、又は忠言のみであった。
『初期の通信は、前にも言った通り皆《みな》細字《ほそじ》で書かれ、其《その》書体も均一で、Doctor, The Teacher, と署名してあった。この司配霊の手蹟《しゅせき》はいつも同一で、一見その人と知ることができた。彼は私にとりて一の実在であり、一の人格であり、その性情は、私が地上で接触する人間と同様に、顕著なる一つの輪廓を有《も》っていた。
『そうする中に、通信は他の人格からも送られるようになった。筆蹟、文体、語法等各々皆特色がある。で、私には筆蹟だけ一瞥《いちべつ》すれば、それが何者の通信であるかが、はっきり判るようになった。
『他界の居住者中には、直接私の手を使うことができず、レクタアと称する霊をして、代筆せしむるものも少くないのであった。蓋《けだ》しレクタアは通信の名手で、さまで私の体力を消耗することなしに、自由に通信を行うらしいのであった。不熟練の霊に使われると、通信もまとまりが悪く、又私の疲労も非常に強烈であった。従って多くの場合に、レクタアが代筆したが、ただ或る霊が初めて通信を試みるとか、又は特に通信を強調する必要を感じた場合とかには、当事者が親《みずか》ら筆を執るのであった。
『但し、本書に収録された通信は、全部がイムペレエタアから出発し、そしてレクタアがその写字生をつとめたものである。他の場合、殊《こと》に通信の後期五年間に於《おい》ては、一団の霊達が各自自分の書体で通信を寄越《よこ》した。
『通信を受取る時の状態は種々雑多《しゅじゅざった》であった。通則としては私が周囲と絶縁することが必要で、私の心が受身になればなるほど、通信が容易であった。最初は筆の運びが難渋であったが、間もなく器械的運動が勝を占め、一頁又一頁と、苦もなく書き綴られるようになった。
『最初|此等《これら》の通信を、スピリチュアリスト紙に発表するに当り、通信者達は全部に修正を施したが、内容の実質には、少しの変化もなかった。爰《ここ》に発表したものには全部個人関係の通信が省かれて居る。従って、最も力強く印象の深い部分が、自然除外されたことになったが、これは如何《いかん》ともすることができない。活字に附《ふ》せられたものは、未発表の部分の単なる標本として之《これ》を取扱い、他日《たじつ》全部公開の機会の到来を待つ
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