屈托《くったく》の為めに欝屈《うっくつ》せる脳力が、適宜の娯楽によりて完全なる働きを取り戻した時こそは、他界の指導者が働きかけるのに、まさに絶好の機会なのである。そうした際には、上界の天使達の威力も思うがままに加わり、いかに兇暴なる魔軍といえども、到底これに一指を染め得ないであろう。折角の大祭日が暴飲暴食と、賭博と、淫楽とに空費せらるることは、たまたま地上の人類が、いかに神霊上の知識に欠けているかを証明するもので、われ等としては全能力を挙げて、その刷新と改善とに当らねばならぬ。
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問『終日労役に服した後で、幽明交通を試むるのも、決して理想的でないと思うが、しかし日曜日は、却って一層心霊実験に適当せぬらしい…………。』
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日曜日の不利[#「日曜日の不利」に白丸傍点]――げに日曜日は、われ等に取りて好適な日とは言われない。精神肉体がその緊張を失えば、その反動として安逸性が加倍し、われ等として、之《これ》を使役して新規の現象の作製を試むる事は、大いに憚《はばか》らねばならぬ。殊《こと》に物理的の心霊現象の作製には甚《はなは》だ不向きで、強いて之《これ》を行えば、霊媒の肉体を毀損する患がないでもない。尚お日曜日が不適当な事につきては、他にも特殊の理由がある。汝達の気づかぬ環境の悪化――これがわれ等の仕事を困難ならしめるのである。食事の直後に実験を行う事の不利は、すでに汝の熟知せる所であろう。要するにわれ等の求むる所は、受動的の敏感性であって、かの怠慢と無感覚より来る所の、単なる受動的状態ではない。刺戟性の酒類を飲みながら、鈍重な食物で胃腸を充たした時に必ず随伴する、かのうとうとした状態――われ等に取りて、これ以上始末におえぬ状態はめったにない。刺戟性の飲料は、或《あ》る場合には、物理的表現の補助となるかも知れない。が、それはわれ等にとりて大々的障害である。何となれば、それは物慾に捕われたる悪霊の為めに門戸を開くからで、われ等の懸命の努力も、到底|之《これ》をいかんともすることができない。座《サークル》を組織する立会人中の、ただの一人がそれであった丈でも、しばしば万事水泡に帰せしむることがないではない。之《これ》を要するに日曜日は、心身の安逸と、過度の飲食から来る、無気力無感覚とが伴い勝ちであるから、心霊実験
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