Ein Zwei Drei
堀辰雄

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(例)※[#二の字点、1−2−22]
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 本輯に「栗鼠娘」を書いてゐる野村英夫は、僕の「雉子日記」などに屡※[#二の字点、1−2−22]出てくる往年の野村少年である。冬になるとよく病氣をしてゐたが、そのころはいかにも牧童なんぞになつたら似合ひさうな少年で、死んだ立原道造なども弟のやうにかはいがつてゐたものだ。が、この少年、おとなしさうに見えて、なかなかの強情つぱりで、それには立原もよく手こずり、「このごろ野村君は、堀さんのいふことなら何んでもきくが、僕のいふことなんぞきいてくれなくなつた」と、さも不平さうにしてゐた。
 いつまでももう野村少年でもあるまいが、――その野村はいつかフランシス・ジャムの詩を譯したり、自分でも詩を書いたりするやうになつた。さうしてこんどはこんな小説まがひのものまで書いた。野村はいまでも鷄小屋を繕つたり、庭の椅子をつくつたりすることが好きらしい。なかなか器用なことをやるな、とおもつて感心してゐると、ときどきとんちんかんなことをしてゐる。こんど彼がはじめて書いたこの小説まがひのものも、どこかそんな野村式のところがある。まあ、しやれていへば、稚拙な味とでもいつたものか。この作品をもうすこし小説らしいものにしようと思へば、前半では森のなかで娘が栗鼠などと遊ぶところをもうすこしファンタスチックに描き、又、後半では母娘三人の田舍暮らしにもうすこし日本の田舍らしい佗びしい感じを添へればいいのだ。だが、こんな風に、なんの屈託もなく、すうつと書けてしまつたやうな最初の作品は、あんまりいぢくらせたくないので、書き直させたりなんかするのは止めにした。

          2

「死の影の下に」を書いてゐる中村眞一郎は、野村がジャケット姿で鷄小屋や椅子などをつくつてゐる間、いつもヴェランダの籐椅子の上でフランスやドイツの本ばかり讀んでゐるやうな男だ。この冬もずつと僕の隣り村で暮らしてゐて、ときどき遊びにくるが、そのときはいつもその一里ばかりの道をリュックを背負つてフランスの小説など讀みながらぶらぶらやつて來る。それくらゐの本好きだから、實にいろんなものをよく讀んでゐる。彼の話をきいてゐるだけで、僕までこの頃、いつぱしフランスの新しい詩や小説の通になりだした。彼はいまジャン・ジロオドウに夢中になつてゐて、その小説を勉強がてら飜譯してゐるらしい。……ある日、その中村が背なかのリュックから、大きな紙包をとりだして、僕のところに預けていつた。それは彼のはじめて書き上げた小説だつた。四百枚もある。僕はそれを三日もかかつて讀み上げた。この小説についての抱負は中村が自分で書くはずだが、いかにも若々しい作品で、まだ下手くそなところも大ぶ目につくが、最後の方になればなるほど面白くなる。そこまでいつて、はじめて全體の骨組もはつきりと分かつてくる。そんなところ、なかなか小癪だ。こんど發表した分は、全體で三章あるうちの、第一章だけなので、まあもう少し氣ながに見てゐてやつて貰ひたい。

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 又、「塔」を書いてゐる福永武彦は、中村と大の仲好しで、中學から一高とずつと同級で、大學も佛文科を四五年前に一しよに出た。なんでもかでも、二人とも同じやうに、よく出來るらしい。福永がマラルメに夢中になると、中村はネルヴァル、又、一方がギリシャ語をやりだすと、一方はラテン語といふ風な相違はあるが。
 或る夏、輕井澤でふたり揃つて自轉車の稽古をはじめたことがある。僕の家に遊びにきてゐても、自轉車があいてゐると、どつちか一人はかならず庭でその稽古をはじめる。中村はそんなスポルティフな事はぶきつちよさうなので、福永のはうがうまくなるかと思つてゐたら、反對に中村の猛練習が功を奏して、先きに乘れるやうになつてしまつた。それを見ると、福永はそれつきり自轉車は斷念したやうだつた。――そのとき一番ひどい目に逢つたのは、僕の妻の自轉車だつたらう。二人のおかげで、すつかりハンドルが曲がり、ペタルが踏みにくくなつてしまつたと言つて、こぼしてゐた。(まあ、けちなことはいふな。)
 その福永も、フランスやアメリカの小説に通じてゐることでは、中村の先輩格らしい。新しいものなら大抵讀んでゐるだらうとおもふ。ジュリアン・グリインやジャン・ポオル・サルトル、それからウイリアム・フォオクナアあたりの小説を好んでゐるといへば、福永の好みがどんなものか、分かる人にはすぐ分かるだらう。
 さうして福永も、中村同樣、數年前から大じかけな小説をは
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