葎《むぐら》のからみついた門などはもう開らかなくなっていた。そうして築土《ついじ》のくずれがいよいよひどくなり、ときおり何かの花などを手にした裸か足の童がいまは其処から勝手に出はいりしている様子だった。
 なかば傾いた西《にし》の対《たい》の端に、わずかに雨露をしのぎながら、女はそれでもじっと何物かを待ち続けていた。
 最後まで残っていた幼い童もとうとう何処かに去ってしまった跡には、もう一方の崩れ残りの東の対の一角に、この頃田舎から上ってきた年老いた尼が一人、ほかに往くところもないらしく、棲《す》みついていた。それは昔この屋形で使われていた召使いの縁者だった。そうしてその尼は此の女をかわいそうに思って、ときどき余所《よそ》から貰ってくる菓子や食物などを持って来てくれた。しかしこの頃はもう女にはその日のことにも事を欠くことが多くなり出していた。――それでもなお女はそこを離れずに、何物かを待ち続けているのを止めなかった。
「あの方さえお為合《しあわ》せになっていて下されば、わたくしは此の儘《まま》朽《く》ちてもいい。」
 そう思うことの出来た女は、かならずしも、まだ不為合せではなかった。

 男にとっては、その一二年の月日はまたたく間に過ぎた。
 しかしその間、男は一日も前の妻のことを忘れたことはなかった。が、何かと宮仕が忙しかった上、あらたに通い出していた伊予《いよ》の守《かみ》の女の家で、懇ろに世話をせられていると、心のまめやかな男だっただけ、彼等を裏切らないためにも、男はつとめて前の妻のところからは遠ざかり、胸のうちでは気にかけながらも、音信さえ絶やしていた。
 最初のうちは、それでも男は幾たびか、人目に立たないようにわざと日の暮を選んで、前の女のいる西の京の方へ往きかけた。が、朝夕通いなれた小路に近づいて来ると、急に何物かに阻《こば》まれるような心もちで、男はその儘引っ返して来た。男はこんなことで、心にもなく女とも別れなければならなくなる運命を考えた。
 しかし、その儘女にも逢わずに月日が立つにつれ、もう忘れていてもいいはずのその女のことを何かのはずみに思い出すと、その女の、袖を顔にした、さびしい、俯伏《うつぶ》した姿が前にも増して鮮明に胸に浮んで来てならなかった。そうしてとうとうしまいには、その女のそうしているときの息づかいや、やさしい衣《きぬ》ずれの音までが
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