に下がっている時には、ひねもす、此頃自分の事をいかにも頼りにし切っているような老いた父の姿などを恋しく思い浮べていた。亡き姉の遺児たちも、夜は大がい自分の左右に寝かすようにしていたのに、今はどうしているだろうと気がかりになってならない事もあった。が、そんな人知れない思いさえ、傍から人に、見られているかと思うと、どうも気づまりで思うようには出来悪《できにく》かった。
ときおり女が三条の屋形に下がって往くと、父母は炭櫃《すびつ》に火など起して、女を待ち受けていた。「おまえがいてお呉れだった時は、人目も見え、婢《はしため》たちも多かったが、此頃というものは、殆ど人けが絶えて、一日じゅう人ごえもしない位だ。ほんとうに心細くって為様がない。こんな具合では、一体、おれ達はどうなるのだろうなあ」そんな事を父は長々と女に云って聴かすのだった。御前などでは、他の女房たちの蔭に小さくなって、殆どあるかないかにしているのに、そんな自分も里に下りるとこれ程頼もしがられるのかと思うと、そんな事を云う父のみならず、云われる自分までが、なんだかいたわしくってならなかった。
が、五六日立つと、女は又気を引き立てるようにして、宮へ上がって往くのだった。
四
女の仕えていた宮が突然お亡くなりになったのを機会《しお》に、女は暫く宮仕えから退いて、又昔のように父母の下でつつましい朝夕を送り出していた。さすがに宮仕えをした後には、女はもう世の中が自分の思ったようなものではない事をいよいよ切実に知り出していた。薫《かおる》大将だの、浮舟だのが此の世にあり得よう筈がない事もわかり過ぎる位わかって来た。が、一方、女はそういうどうにも為様のないような詮《あき》らめに落ち着こうとしている自分が、却《かえ》って昔の自分よりもふがいなく思えてならなかった。
その後も宮からは、絶えず女をお召しになっていた。亡くなられたお方の小さい御子達の相手に女の姪たちを連れて来て貰いたいと云うのだった。女はもう自分だけなら、このまま静かに老いるのも好いと考えていた。それ程女は身も心も疲れ切っていた。しかし、漸《ようや》くおとなびて来た姪たちの事を考えると、此子達だけは自分のようにさせたくないと、折角の宮からのお召を拒みかねて、二人に附添ってはおりおり又出仕をするようになった。が、こん度は女は宮でもまるっきり新参というの
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