れたのは、そのお竜ちゃんだったのである。
 お竜ちゃんは、しかし、私を空気かなんぞのように見ながら、澄まして、寧《むし》ろつんとしたような顔をして、私の隣りに坐った。私は心臓をどきどきさせながら、一人でどうしてよいか分からず、机の蓋《ふた》を開けたり閉めたりしていた。
 それは私の得意な算術の時間だった。どんなに上《うわ》ずったような気もちの中でも、私は与えられる間題はそばから簡単に解いていた。そういう私とは反対に、お竜ちゃんには計算がちっとも出来ないらしかった。そうして帳面の上に、小さな、いじけたような数字を、いかにも自信なさそうに書き並べているのを、私はときどきちらっと横目で見ていた。しかし、お竜ちゃんは、大きな、無恰好《ぶかっこう》な数字が一めんに躍《おど》っているような私の帳面の方は偸見《ぬすみみ》さえもしようとはしなかった。
 突然、私は鉛筆の心《しん》を折った。他の鉛筆もみんな心が折れたり先きがなくなっているので、私は小刀でその鉛筆をけずり出した。しかしいそげばいそぐほど、私は下手糞《へたくそ》になって、それをけずり上げない先きに折ってしまった。
 お竜ちゃんは、そんな私を
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