ういうところからそれが来るかは、勿論、私は知りようもなかった。
その頃、私はよく両親に伴われて、すぐ川向うの、浅草公園へ行った。そうして寄席《よせ》へ連れて行かれたり、活動写真を見て来たりした。又、おばあさんとだけやらされるときもあったが、そんなときには私はいつも球乗《たまの》りや花屋敷などへ彼女を引っぱって行った。(それらの事はまた他の機会にも書けるだろう。――)しかし一番、母だけに連れられて行くことが多かったが、そういう折にはいつも観音《かんのん》様とその裏の六地蔵様とにお詣《まい》りするだけで、帰りには大抵|並木町《なみきちょう》にある母方のおばさん(其処《そこ》のおじさんはきん朝さんという噺《はな》し家《か》だった。……)の家に寄ったり、それからそのおなじ裏通りの、もう少し厩橋《うまやばし》よりにある、或る小さな煙草屋の前まで私を連れて行った。その頃その煙草屋の二階に、皆がおよんちゃんといっている、一番小さなおばさんが一人で間借りをしていた。母は、私をすこし離れたところに待たせて、決して上へはあがらずに、そのおよんちゃんを外へ呼び出して、暫《しばら》く夕やみの中で何か立ち話を
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