ら叫んでいる者がいた。……
そうやって皆と一しょになって、何が何だか分からずに、寧《むし》ろ面白そうにしている私に気がつくと、母は私を寝間に連れていって、「心配しないでおいで。この位の洪水《みず》はいつもの事なんだからね」そう繰り返し繰り返し云って私を宥《なだ》めながら、無理やりに私を寝かしつけた。……が、明け方になって再び私が目をさましたときは、家の中は只《ただ》ならず騒々しくなっていた。私はゆうべ夢の中でのように見たかずかずの事を思い出し、縁側に飛んでいって見た。ゆうべまざまざと見た濁った水は、いまその縁と殆どすれすれ位のところにまで押しよせて来ていた。
父は弟子《でし》たちに手伝わせて、細工場の方に棚《たな》のようなものを作っていた。それはもう半ば出来かかっていた。母は縁側に出ている私を見ると、着物を手ばやく着換《きか》えさせ、「あぶないから、あんまり水のそばに行くんじゃないよ」と言ったきりで、すぐ又向うへ行って、忙しそうに皆を指図《さしず》していた。
私はそこに一人ぼっちにされていた。そのあいだ、小さな私は、自分の前に起っている自然の異常な現象をまだよく判断する力もないの
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