さ》まさせまいとして互に小声で言い合っていたらしいのが、つい我を忘れたように声を高くしてくる。……突然、私はまっ暗ななかで一人でしくしくと泣き出す。父に訴えるのでも、母のために一緒に泣くのでもない、ただもうそれより他《ほか》にしようがなくって、泣くのを我慢しいしい泣いている。そのうちにやっと母がそれに気づいて、私をあやしに来てくれる。酒臭い父もそのあとから私のそばにやってくる。そして、父はよく枕《まくら》もとでお鮨《すし》の折などをひらきながら、「そんなことをするの、お止《よ》しなさいてば。……」と母が止めるのもきかずに、機嫌《きげん》よさそうに私の口のなかへ、海苔巻《のりまき》なんぞを無理に詰めこむのだった。そうすると私は反って泣いていたのを見つかったことをてれ臭そうにして、すぐもう半ば眠ったふりをしながら、でも口だけは仕方なしにいつまでももぐもぐやっていた。……
私の知った最初の悲しみであった、そういう父母のいさかいが、どうかするとその翌朝になってもまだ続いていることがあった。
そういうときなど、私はすぐ胸を一ぱいにして、彼等のそばを離れ、こっそりと庭へ抜け出していった。そし
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