となの人が私に向って言ったり、したりするような事を、すっかり見よう見真似《みまね》で繰り返しながら、何度も何度もその冷い鼻を撫《な》でてやっていた。その石の鼻は子供たちが絶えずそうやって撫でるものだから、光ってつるつるとしていた。それがまた私に何んともいえない滑《なめ》らかな快い感触を与えたものらしかった。……
 その神社の裏は、すぐ土手になっていて、その向うには大川が流れていた。おばあさんはその土手の上まで私の手を引いて連れていってくれることはあっても、もしかして私が川へでも落ちたらと気づかって、いつも土手のこちらから、私にその川を眺めさせているきりだった。そうしていても、葦《あし》の生《お》い茂った間から、ときどき白帆や鴎《かもめ》の飛ぶのが見えた……
 子供の私はそれだけで満足していた。そして決して他の子供たちのようにおばあさんの手をふりほどいて、もっと川のふちへ行きたがったりして、おばあさんを困らせるような事は一度もしなかった。子供たちの持つすべての未知のものに対するはげしい好奇心は私にも無くはなかったが、内気な私はそのためにおばあさんを苦しめるような事までしようとはしなかった。二人は互にやさしく愛し合っていた。そして私はいつもおばあさんが木蔭《こかげ》などにしゃがんだまま、物静かに、何か漠《ばく》とした思い出に耽《ふけ》っているそばで、おとなしく鴎の飛ぶのを見たり、石の牛を撫でたりしていた。

 その頃私達の住んでいた家のことを思い出そうとすると、前にも書いたように、それはごく切れ切れに――例《たと》えば、秋になるとおいしい果実を子供たちに与えてくれた一本の無花果の木や、そのほかは名前を知らないような木が二三本植わっていた小さな庭だとか、いつも日あたりのいい縁側だとか、そこから廊下つづきになった硝子張《ガラスば》りの細工場《さいくば》だとかが、――一つ一つ別々に浮んでくるきりである。そしてそういうものよりも一層はっきりと蘇ってきて、その頃のとりとめのない幸福を今の私にまでまざまざと感じさせるものは、私の小さいブランコの吊《つる》してあった、その無花果の木の或る枝の変にくねった枝ぶりだとか、あるときの庭土の香《かお》りだとか、或いはまた金屑《かなくず》のにおいだとか、そういった一層つまらないものばかりだ。……
 私の父は彫金師《ほりものし》だった。しかし、主
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