入れているために――そこにパラドクシカルな、悲痛な美しさを生じさせているのにちがいないのだった。若しそれらを彼が本当にその詩を書いたのち綺麗《きれい》さっぱりと撥《のぞ》き去ってしまったなら、その詩人はひょっとしたらその詩をきっかけに、だんだん詩なんぞは書かなくなるのではないか、という気が私にされぬでもなかった。
それほど、私はより高い人生のためにそれらの小さなものが棄て去られることには半ば同意しながら、しかしその一方これこそわれわれの人生の――少くとも人生の詩の――最も本質的なものではないかと思わずにはいられない幼年時代のささやかな幸福、――それをこの赤まんまの花たちはつつましく、控目《ひかえめ》に、しかし見る人によっては殆《ほとん》ど完全な姿で代表しているのだ。……
「それはそうと、赤まんまの花って、いつ頃咲いたかしら? 夏だったかしら? それとも……」と私は自分のうちの幼時の自分に訊《き》く。その少年はしかしそれにはすぐ答えられなかった。そう、赤まんまの花なんて、お前ぐらいの年頃には、年がら年じゅうあっちにもこっちにも咲いていたような気がするね。……
いわばそれほど、季節季節によってまるでお祭りのように咲く、他の派手な花々に比べれば、それらの地味な花はいつ咲いたのか誰にも気づかれないほどの、そして子供たちをしてそれがままごと[#「ままごと」に傍点]に入用なときにはいつでも咲いているかのような――実はその小さな花を路傍などで見つけて、誰か一人がふいと手にしてきたのが彼|等《ら》にそんな遊戯を思いつかせるのだが――心もちにさせる、いかにも日常生活的な、珍らしくもない雑草だった。
しかしながら、その「赤まんま」というなつかしい仇名《あだな》とともに、あの赤い、粒々とした花とはちょっと云いがたい位、何か本当に食べられそうに見える小さな花の姿を思い浮べると、いまだに私には一人の目のきつい、横から見ると男の子のような顔をした少女の姿がくっきりと浮ぶ。それから、もう一人の色つやの悪い、痩《や》せた、貧相な女の子の姿が、その傍《かたわ》らに色褪《いろあ》せて、ぼおっと浮ぶ。それからその幼時の私のたった二人っきりの遊び相手だった彼女たちと、庭の無花果《いちじく》の木かげに一枚の花莚《はなむしろ》を敷いて、その上でそれ等の赤まんまの花なんぞでままごとをしながら、肢体《したい
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