妙に不安そうな眼つきで見がちだった、すこし頭の禿げたその主人は急にそわそわし出したように見えるくらい愛想よくなって、私の方を向きながら、それではお前もこちらにクリスマスを送りに来たのかなどと問い出した。私はまた私で、やがてその主人のかかえてきた大きな宿帳に、露西亜人や波蘭《ポーランド》人らしい名前ばかりの並んでいる下へ自分の名前をぶきっちょな羅馬《ローマ》字で書きつけているうちに、クリスマスなんかを一向楽しいとも思ったことのない私であったが、なんだか不意に、明日からのクリスマスを楽しく送りに、わざわざこんな神戸くんだりまでやって来たかのような気にさえなり出したほどであった。……
 T君が明日また正午頃来るからと約束して帰ってしまうと、私は今朝《けさ》から汽車に乗りどおしだったので、さすがに疲れていたし、どうやら熱もすこしあるらしいので、すぐ服をぬいで、シャツだけになって、寝台に横になった。それでもその部屋は小さいだけ、スティムで蒸し暑いくらいだった。が、さて横になってみると、私はこんな慣れない部屋の中ではなかなか寝つかれそうもなかった。あいにく読む本は一冊も持っていない。その時私は、つい今しがたこの部屋を片づけに来たホテルの主婦らしい女が、鏡台の抽出《ひきだ》しから腕いっぱいに書類を取り出して、それを他の部屋へ移そうとするのを見て、それはそのままにして置いてもいいと言ったら、それを又元のところへ入れ直して行ったのをひょっくり思い出した。私はベッドから起きて行った。そうしてその抽出しに手をかけようとした時、ちょっと気がとがめたが、どうせこんなところへ入れっ放しにして置くほどのものなら大事なものではあるまいと思い直して、それを構わずに開けてみた。抽出しの中はなんだか私の読めない露西亜語の本ばかり詰まっていたが、なかに一冊|独乙《ドイツ》語の薄っぺらな本の雑っているのを見つけた。それから小さな独露辞書らしいものもあった。その薄っぺらな本を手にとって見ると、モスコオで発行されたハイネの小さな詩集であった。これゃあいいものがあったと、私はそれを手にしたまま、再びベッドにもぐり込んだ。ぱらぱらと頁《ページ》をめくってみると、或る頁に名刺ぐらいの大きさの写真が一枚|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《はさ》んであった。雀斑《そばかす》のありそうな、若い男の写真である。この露西亜人らしい男が、この部屋の借り手で、そしてこのハイネの詩集を読んでいるのかと思ったら、ちょっと懐《なつか》しい気がした。私はそれを注意深くもとの頁に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] んで、それからこんどはその巻頭にある「五月に」(Im Mai[#「Im Mai」は斜体])という詩を、一字一字丁寧に見つめながら読んでいった。
[#ここから3字下げ]
〔Die Freunde, die ich geku:sst und geliebt,〕
〔Die haben das Schlimmste an mir veru:bt.〕
Mein Herz bricht ……[#ここまでの3行は斜体]
[#ここで字下げ終わり]
 ――しかし独乙語はなにしろ高等学校でちょっと習ったきりなので、その詩のなかの太陽[#「太陽」に傍点]だとか薔薇[#「薔薇」に傍点]だとか心臓[#「心臓」に傍点]だとか五月の空[#「五月の空」に傍点]だとか、そんな簡単な名詞ぐらいは覚えていたけれど、肝腎《かんじん》な形容詞や動詞をすっかり胴忘れてしまっているので、私は自分の空想力でやっとそれを補いながら読んでみたのであるが、どうもそんな私に分かる語彙《ごい》だけから見ると、その詩はおよそ私の現在の気持からはあまりに懸《か》け離れていそうに思えたので私はその詩の意味をちっとも嚥《の》み込めないうちに、その小さな本を私の枕《まくら》もとに伏せてしまった。それに私はいい具合にすこしうとうとしだしたものだから……

 正午ごろ、T君が私を誘いに来てくれた。それから二人でホテルを出ると、一時間ばかり古本屋だの古道具店だのをひやかしたのち、海岸通りのヴェルネ・クラブに行った。しゃれた仏蘭西料理店だ。そこの客は大概外国人ばかりだった。私たちが一隅の卓で殻つきの牡蠣《かき》を食っていると、兎《うさぎ》の耳のようにケープの襟《えり》を立てた、美しい、小柄な、仏蘭西女らしいのが店先きにつと現われて、ボオイをつかまえ、大事そうに両手でかかえている風呂敷包を示しながら、何やら片言まじりの日本語で喋舌《しゃべ》っている。私には「ネープルをもってきました」と言ったようにそれが聞えた。ボオイはなんだか解《わか》らないような顔をして奥へ引っ込んでいったが、それと入れちがいにその料理店の主人らしいのが出て来て、仏蘭西語で愛想よく一人一人に挨拶《あいさつ》をしながら客たちの間を通り抜けて、その婦人の方へ近よって行った。その時その婦人が風呂敷包を開けながら、ヴェルネ氏に渡したものをちらっと見ると、それは一匹の可愛らしい三毛猫であった。ネコといったのを私はネープルと聞きまちがえたのであった。ヴェルネ氏はそれをにこにこして受取りながら、しきりに 〔Tre`s bien ! Tre`s bien !〕[#「〔Tre`s bien ! Tre`s bien !〕」は斜体]と繰り返している。おしまいには婦人までが鸚鵡《おうむ》がえし
に 〔Tre`s bien ?〕[#「〔Tre`s bien ?〕」は斜体]と二度ばかり口ごもる。低くはあるが、いかにも満足したような声である。
 私たちはそれからマカロニイやら何やらを食べて、その店を出た。そうして私たちはすぐ近くの波止場《はとば》の方へ足を向けた。あいにく曇っていていかにも寒い。海の色はなんだかどす黝《ぐろ》くさえあった。おまけに私がそいつの出帆に立会いたいと思っていた欧洲航路の郵船は、もうこんな年の暮になっては一艘《いっそう》も出帆しないことがわかった。私の失望は甚《はなは》だしかった。そうしてただ小さな蒸汽船だけが石油くさい波を立てながら右往左往しているきりだった。ときどき私たちとすれちがって行く仏蘭西の水兵たちの帽子の上に、ポンポン・ルウジュが、まるで嬉《うれ》しがっている心臓のように、ぴょんぴょん跳《は》ねていたが、それが私の沈んだ心臓と良い対照《コントラスト》をした。海岸通りの何とかいう薬屋のショオウィンドを覗《のぞ》いたら、パイプやなんかと一緒に五六冊、英吉利《イギリス》語の本が陳列されてあった。そのなかにふと海豚叢書《いるかそうしょ》の「プルウスト」を見つけたので、ゆうべの読みづらかったハイネの詩集を思い出しながら、その薬屋のなかへ這入ってその小さな本を買った。T君の話では、この店にはときどき随筆物で面白い本が来るのだそうだ。それからまた、私たちはその窓から電話やタイプライタアの強請《ゆす》ったり吃《ども》ったりする音の聞えてくる商館の間を何となくぶらぶらしてみたり、今では魚屋や八百屋《やおや》ばかりになった狭苦しい南京町《ナンキンまち》を肩をすり合せるようにして通り抜けたりしたのち、今度はひっそりした殆《ほとん》ど人気のない東亜通りを、東亜ホテルの方へ爪先《つまさ》きあがりに上った。その静かな通りには骨董店《こっとうてん》だの婦人洋服店だのが軒なみに並んでいる。ヒル・ファルマシイだとか、エレガントだとか云う店は毎年軽井沢に出張しているので私には懐しく、ちょっとその前を素通りしかねた。とあるネクタイ屋のショオウィンドに洒落《しゃ》れたネクタイが飾ってあるので近づいて行って、覗こうとしたら、何処からか犬が私たちに吠《ほ》えついた。あたりを見廻しても、犬なんかいないのだ。やっと気がついて頭を持ち上げて見ると、そのネクタイ屋の二階には看板の代りに、このへんの大概の洋館のようにバルコンがついていて、そこの緑色の亜字欄に精悍《せいかん》そうなシェパアドが一匹縛りつけられていたが、そいつが私たちに吠えているのであった。ネクタイ屋の看板にしては、これはすこし物騒《ぶっそう》すぎる。聖公教会の門のところに、まるで葡萄《ぶどう》の房《ふさ》みたいに一塊《ひとかたま》りに、乞食《こじき》どもがかたまっている。私たちがそれを不思議そうに見過ごしながら、それからすこし急な坂を上ってゆくと、今度は一軒の立派な花屋の前に、何台も何台も、綺麗《きれい》な自動車ばかりがかたまっている。その時やっと教会と乞食と花とが私の頭のなかで唐草《からくさ》模様のように絡《から》み合って、私に、今夜がクリスマス・イヴであるのを思い出させた。……私はそこでT君の方へふりかえりながら言った。
「これから外人墓地へでも行ってみようか?」
「うん――君さえ元気があれば行ってもいいよ……」
「そうだなあ……」
 ……自分で言い出しておいて、私はちょっと首をかしげる。そんな会話を交《かわ》しながら、いつの間にか私たちの歩いている山手のこのへんの異人屋敷はどれもこれも古色を帯びていて、なかなか情緒がある。大概の家の壁が草色に塗られ、それがほとんど一様に褪《さ》めかかっている。そうしてどれもこれもお揃《そろ》いの鎧扉《よろいど》が、或いはなかば開かれ、或いは閉されている。多くの庭園には、大粒な黄いろい果実を簇《むら》がらせた柑橘類《かんきつるい》や紅い花をつけた山茶花《さざんか》などが植わっていたが、それらが曇った空と、草いろの鎧扉と、不思議によく調和していて、言いようもなく美しいのだ。……T君もひさしぶりにこの辺まで上って来たものらしく、さっきからしきりに此処《ここ》いらまでよく遊びに来たことのある昔のことを思い出してはひとりで懐《なつか》しがっている。私は私で、こんなユトリロ好みの風景のうちに新鮮な喜びを見出《みいだ》している。こんな家に自分もこのまま半年ばかり落着いて暮らしてみたいもんだなあと空想したり、こういうところでその幼時を過したT君のことを羨《うらや》ましがったりしながら、だんだん狭くなってくる坂を上ったり下りたりしているうちに、今度はT君の方が首をかしげだした。どうやら彼自身のこんがらがった幼時の思い出をほごすのにあんまり夢中になり過ぎていたT君は、いつの間にやら、私たちの目指《めざ》している外人墓地への方角を間違えてしまっているらしかった。その挙句《あげく》に漸《ようや》っと彼は、私たちが飛んでもない見当ちがいな、或る丘の頂きに上って来てしまったことを、気まり悪そうに私に白状した。そうして私たちの上って来たやや険しい道は、一軒の古い大きな風変りな異人屋敷――その一端に六角形の望楼のようなものが唐突《とうとつ》な感じでくっついている、そして棕梠《しゅろ》だのオリイブだのの珍奇な植物がシンメトリックな構図で植わっている美しい庭園をもった、一つの洋館の前で、行きづまりになっていた。そうして少しがっかりして、息をはずませながら、その風変りな家に見とれている私たちの姿を目ざとく認めると、黄色に塗られた鉄柵《てっさく》ごしに、その庭園の中から一匹のシェパアドが又しても私たちに吠《ほ》え出した。私はあんまり犬が好きじゃないのだ。どうもこの辺もいいけれど、もの静かに散歩をするには、すこしシェパアドが多過ぎるようだ。

 夕方、私たちは下町のユウハイムという古びた独乙《ドイツ》菓子屋の、奥まった大きなストーブに体を温めながら、ほっと一息ついていた。其処《そこ》には私たちの他に、もう一組、片隅《かたすみ》の長椅子に独乙人らしい一対の男女が並んで凭《よ》りかかりながら、そうしてときどきお互の顔をしげしげと見合いながら、無言のまんま菓子を突っついているきりだった。その店の奥がこんなにもひっそりとしているのに引きかえ、店先きは、入れ代り立ち代りせわしそうに這入《はい》ってきては、どっさり菓子を買って、それから再びせわしそうに出てゆく、大部分は外人の客たちで、目まぐるしいく
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