、私の背中合わせの部屋から、タイプライタアの何かにじゃれているような音が聞えてきた。が、それはだんだんいらいらしたような音に変りながら、すぐ止《や》んでしまった。私はゆうべこのホテルに着くなりすぐ目に入れたところの、廊下の隅《すみ》にほうり出されていた、錆《さ》びかかったようなタイプライタアを思い出した。――それにしても、一体いまは何時ぐらいなのか少しも分らない。まだ朝飯は食わしてくれるのかしらと思いながら、私はボオイを呼ぶために、窓とは反対の側の、ドアを開《あ》けてみた。食堂は私の部屋と隣り合わせになっているらしい。そこからは途切れ途切れな話し声に雑《まじ》ってときどき皿にぶつかるスプーンやナイフの音が聞えてくる。……しかしそれは誰かがまだ朝飯を食べているのか、それとももう昼飯を食べ出しているのか、わからない。……どうも具合がへんだから、私はドアを開け放しにしておいて、もう食堂からボオイが出て来そうなものだと待ち伏せていた。
やっと食堂からボオイが姿を現わした。支那人《しなじん》らしかった。私は彼が日本語を解するのかどうかを知らなかったので、英語と日本語をまぜこぜにしながら、
「B
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