がいにその料理店の主人らしいのが出て来て、仏蘭西語で愛想よく一人一人に挨拶《あいさつ》をしながら客たちの間を通り抜けて、その婦人の方へ近よって行った。その時その婦人が風呂敷包を開けながら、ヴェルネ氏に渡したものをちらっと見ると、それは一匹の可愛らしい三毛猫であった。ネコといったのを私はネープルと聞きまちがえたのであった。ヴェルネ氏はそれをにこにこして受取りながら、しきりに 〔Tre`s bien ! Tre`s bien !〕[#「〔Tre`s bien ! Tre`s bien !〕」は斜体]と繰り返している。おしまいには婦人までが鸚鵡《おうむ》がえし
に 〔Tre`s bien ?〕[#「〔Tre`s bien ?〕」は斜体]と二度ばかり口ごもる。低くはあるが、いかにも満足したような声である。
 私たちはそれからマカロニイやら何やらを食べて、その店を出た。そうして私たちはすぐ近くの波止場《はとば》の方へ足を向けた。あいにく曇っていていかにも寒い。海の色はなんだかどす黝《ぐろ》くさえあった。おまけに私がそいつの出帆に立会いたいと思っていた欧洲航路の郵船は、もうこんな年の暮になっては一
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