見えました。それから少し歩いて行って、こんどは林の入口に、あの亡くなられた御主人のお好きだった例の水車が、もう半分朽ちかけたまま、それでもまだどうにかこうにか廻転しながら昔の俤《おもかげ》をとどめているのを目に入れますと、私なんぞでもああお気の毒だと何んということもなしに思ったものでした。
「爺や夫婦は旦那《だんな》様が亡くなってからも、もとどおりに奥様のために働いていました。あなた達のこんどお借りになった家は、もと、その爺や夫婦に冬住まわせるようにお建てになったもので、夏だけ人に借し、その間爺やたちは日向さんの方で寝起きしていたのです。その時分から爺やはまめにその家のまわりの空地に豆だの胡瓜《きゅうり》だの葱《ねぎ》だのの畑を作っていましたが、みんな御主人に召し上っていただくために丹誠《たんせい》したのだからといって、そこの家を借りた人にもつい鼻先にある畑のものには一切手を出させませんでした。そんな事を知らずに、その人達が自分の畑のような気になって勝手に葱なぞをとったりしていた事が分かろうものなら、爺やは恐ろしい権幕で呶鳴《どな》りこんだりしたものでした。日向さんの奥さんは葱一本ぐら
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