こんな二人きりには少し大き過ぎて持てあまし気味の小屋を、他にいくつもあった手頃な小屋よりも私に特に選ばせたのは、実はこのファイア・プレェスの傍に二つ三つ無雑作にころがっていた古い樫《かし》の木の椅子(昔から私はこんな椅子をどんなに欲しがっていただろう!)と、それからレムブラントの絵なんぞの入った額縁がいくつか裏を向けて埃まみれのまま壁に立てかけてあった小さな屋根裏部屋となのだ。いくら女房持ちになったって、こんな風な一向変らない私を知って、さぞ君は嬉しがってくれることだろうな? それとも少しは私達の行末が気になるとでも云うかね?
私はその屋根裏部屋をすぐ自分の部屋にきめて、そこに自分の椅子[#「自分の椅子」に傍点]のすべてと、それから去年火事ですっかり焼いてしまってから又ぽつぽつと集め出した少数の本の中から、特にリルケのだけを持ち込んだ。これは女房の奴には内証だが、私はこの屋根裏部屋にときどき閉じ籠っては、全く一人っきりで、昔の自分にそっくりそのままの自分に返って、心ゆくまで自分の青春に訣別《けつべつ》を告げようという陰謀。――が、その代り、階下の、女房と共同の部屋には、女房に買って貰ったトルストイ全集だの、ジャック・シャルドンヌの「祝婚歌《エビタラアム》」や「クレエル」などを積み重ねて、一方、大いに結婚生活者の心理研究もしようという感心な心がけさ。……当分、そんな二種類の自分が、私の裡《うち》でお互いに勝手悪そうに同居しているだろうが、それはまあ仕方があるまい。慾を云えば、かえっていつまでもこうしたままの通りでいてくれた方が自分には何だか面白そうだ。
こんな手紙を君に書きながら、私がいま思い出しているのは、二三日前にも読み返したリルケが「マルテの手記」の中でフランシス・ジャムらしい詩人のことを書いている一節だ。――「ああそれは何という幸福な運命であろう。先祖代々の家の、物静かな部屋に坐って、家付きの落ちついた家具に取囲まれながら、まぶしいほどの新緑の庭で山雀《やまがら》が啼きかわしたり、又、遠くの方で村の時計の鳴るのを聞いたりしているのは。そうやって坐って、午後の温かな日ざしを眺めながら、昔の少女たちの話を沢山知っていて、そしてしかも詩人であるというのは。そうして自分だって、もし何処《どこ》かに――この世の何処か、誰ももう行っても見ないような閉ざされた田舎家の一
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