方を私もふりむいて見ると、ヴェランダの壁の上の方の、誰の手も届きそうもないところに、なるほど彼らしい手跡で、
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〔Wenn ich wa:re ein Vogel !〕
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 と、青い鉛筆で楽書のしてあるのに私はそのとき漸《やっ》と気がついた。

      *

 私達が結婚祝いに立原から貰ったクロア・ド・ボア教会の少年達の歌やドビュッシイの歌のレコオドをはじめて聴いたのは、その翌年の春さきに、なんだかまるで夢みたいに彼が死んでいってしまった後からだった。私達はそのレコオドを友人の家に携えていって、それをはじめて聴いたのである。
 それから、その夏(去年)軽井沢へ往ったときは漸く宿望の蓄音機をもっていけたので、私の好きなショパンの「前奏曲」やセザアル・フランクの「ソナタ」なんぞの間にときどきその二枚の小さなレコオドをかけては、とうとうこれがあいつの形見になってしまったのかと思うようになった。私はその二つの曲の中では、ドビュッシイの近代的な歌よりも、寧《むし》ろイタリアの古拙な聖歌の方を好んだ。それらのゴブラン織のような合唱の中を、風のように
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