イモンド夫人がみずから制作したものだという事を私の教わったのも、そのときの事だった。そして別れぎわになってから、そのHさんがこう言ったのである。
「……この御堂が本当に好きですので、こうして雪の深いなかに一人でそのお守りをしているのもなかなか愉しい気もちがいたします。……」

      *

「あなたが自分のまわりに孤独をおいた日々はどんなに美しかったか、僕はそれを羨《うらや》むことでいまを築いているといったっていいくらいです……」と、そんな事を若い詩人の立原道造《たちはらみちぞう》が盛岡への一人旅から私達のところに書いてよこしたのは、彼が亡くなる前年(一九三八年)の秋だった。――そのときはもう私はそのような孤独ではなく、その春さりげなく結婚をして、しかしその年もやはり軽井沢の山中で秋深くなるまで暮しつづけていた。が、今年はどうも私の身体が変調なので、そろそろこんな山暮しを切り上げようかと考えていた矢先だった。――立原も立原で、その夏まえからだいぶ健康を害して、一年ほど前から勤め出していた建築事務所の方もとかく休みがちらしかった。そうしてなかば静養を口実に、好きな旅にばかり出ているよ
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