もう一人のウエイトレスと現はれ、何か小聲に話しながら、僕等に近づいてくるのを見る。彼女は相手の女に、彼女の愛してゐるのは實は僕であることを、そして槇が僕の手紙を渡してくれたのかと思つたら、それは槇自身の手紙であつたことを話してゐる。そして彼女等は、僕等に少しも氣づかずに、僕等の前を通り過ぎる。僕は異常な幸福を感じる。僕は槇をそつと見る。槇はいつの間にか眼をあけてゐる。
「よく眠つてゐたね」僕が云ふ。
「僕がかい?」槇は變な顏をする。「眠つてゐたのは君ぢやないか」
 僕はいつの間にか眼をつぶつてゐる。「そら、また眠つてしまふ」さういふ槇の聲を聞きながら僕は再びぐんぐんと眠つて行く。
 それから僕はベツドの上で本當に眼をさました。そしてその夢ははつきりと僕に、自分でも氣づかないでゐた奇蹟の期待を知らせた。その奇蹟の期待は、再び僕の中に苦痛を喚び起しながら、それによつて一そう強まる。そしてそれは夜の孤獨の堪へがたさと協力して、無理に僕をカフエ・シヤノアルに引きずつて行つた。
 カフエ・シヤノアル。そこでは何も變つてゐない。同じやうな音樂、同じやうな會話、同じやうに汚れてゐるテイブル。僕はさう
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