しかし僕の手は彼女の手によつて次第に汗ばんで行つた。
槇が僕のグラスにウイスキイを注いだ。それが僕によい機會を與へた。僕は女から無理に僕の手を離しながら、そのグラスを受取つた。しかし僕はもうこれ以上に醉ふことを恐れてゐる。僕は醉つて槇の前に急に泣き出すかも知れない自分自身を恐れてゐる。そして僕はわざと僕のグラスをテイブルの上に倒してしまつた。
一時過ぎに僕等はジジ・バアを出た。僕等の乘つたタクシは僕等四人には狹かつた。僕は無理に槇の膝の上に乘せられた。彼の腿は大きくてがつしりとしてゐた。僕は少女のやうに耳を赤らめた。槇が僕の背中で言つた。
「氣に入つたかい」
「ちえつ、あんなとこが……」
僕は彼の胸を肱で突いた。その時、僕は頭の中にジジ・バアの女の顏をはつきりと浮べた。すると一しよにシヤノアルの女の顏も浮んできた。そしてその二つの顏が、僕の頭の中で、重なり合ひ、こんがらかり、そして煙草の煙りのやうに擴がりながら消えて行つた。僕は僕が非常に疲れてゐるのを感じた。僕は何の氣なしに指で鼻糞をほじくり出した。僕はその指がまだ白粉でよごれてゐるのに氣づいた。
底本:「堀辰雄全集第一
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