ュ彼女自身も気がついていないのだろうと思える位、ぼんやりしているらしかった。……私は心臓をしめつけられるような気がしながら、そんな見知らない彼女の姿を見つめていた。……と突然、彼女の顔が明るくなったようだった。彼女は顔をもたげて、微笑さえしだした。彼女は私を認めたのだった。
私はバルコンからはいりながら、彼女の側に近づいて行った。
「何を考えていたの?」
「なんにも……」彼女はなんだか自分のでないような声で返事をした。
私がそのまま何も言い出さずに、すこし気が鬱《ふさ》いだように黙っていると、彼女は漸っといつもの自分に返ったような、親密な声で、「何処へ行っていらしったの? 随分長かったのね」
と私に訊《き》いた。
「向うの方だ」私は無雑作にバルコンの真正面に見える遠い森の方を指した。
「まあ、あんなところまで行ったの? ……お仕事は出来そう?」
「うん、まあ……」私はひどく無愛想に答えたきり、しばらくまた元のような無言に返っていたが、それから出し抜けに私は、
「お前、いまのような生活に満足しているかい?」
といくらか上ずったような声で訊いた。
彼女はそんな突拍子もない質問にち
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