ノそういう彼女を目に入れながら近づいて行くと、彼女の方でも私を認めたらしかった。彼女は無意識に立ち上ろうとするような身動きをした。が、彼女はそのまま横になり、顔を私の方へ向けたまま、すこし気まり悪そうな微笑で私を見つめた。
「起きていたの?」私は扉のところで、いくぶん乱暴に靴を脱ぎながら、声をかけた。
「ちょっと起きて見たんだけれど、すぐ疲れちゃったわ」
そう言いながら、彼女はいかにも疲れを帯びたような、力なげな手つきで、ただ何んということもなしに手で弄《もてあそ》んでいたらしいその帽子を、すぐ脇にある鏡台の上へ無造作にほうり投げた。が、それはそこまで届かないで床の上に落ちた。私はそれに近寄って、殆ど私の顔が彼女の足のさきにくっつきそうになるように屈《かが》み込《こ》んで、その帽子を拾い上げると、今度は自分の手で、さっき彼女がそうしていたように、それをおもちゃにし出していた。
それから私はやっと訊《き》いた。「こんな帽子なんぞ取り出して、何をしていたんだい?」
「そんなもの、いつになったら被《かぶ》れるようになるんだか知れやしないのに、お父様ったら、きのう買っておいでになったのよ。
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